原文は実名でいただいていますが、本人の許可なく転載のため匿名とさせていただきます。尚、転載不本意な場合はお知らせください。ありがとうございました。(人食い鰐より)
最新作 拝読しました・・“着せ替え人形”を試みました。以下、拙文をお読みいただければ幸甚です
天空のながい睫毛は僧の列
壮大なスケールです。天空高く、暗闇に浮かびあがったオーロラに・・果しなく続く黒い僧の列像――列像が切れたその先は、不気味な“暗黒”が満々と広がっている・・摩訶不思議な作品です。おぞましく宇宙的・・オーロラが妖しげな輝きを放っている・・黒い僧の裾がひらひらとそよいでいる・・・17文字で表現された世界とは思えない。
川柳にとって、誰も見たことも経験したこともない情景(事柄)を想像し「575」のコトバに凝縮さす作業・・これこそ、真の“創造”(作品が昇華された)と言えるのではないだろうか。氏の豊饒な“想像力・創造力”にただ驚くばかりです。敬意を表します。
豆腐ゆらりとまた下半身入れ替わる 猫踏んだような足取り午後の雨
魚の腸抜き葬列について行く 黄昏を降りるアルゼンチン一座
白い絹糸ほど品川を過ぎにけり 邪魔になる身体を抜けていく煙
黄昏の馬あらぬことを口走り
氏の川柳は「コトバとコトバの衝突の火花であり花火」・・ “分からない”“感じるだけ”でよい・・が、分からないがゆえに魅力的、蠱わく的なのだ・・氏の“火花・花火”を自分の中に受け入れ、自身の作業によって新たな想像力・創造力”を再生産“ すればよいのだ・・優れた作品は読む者に“想像力・創造力”の再生産 を迫るものだ。
もっとも、率直なところですが「白い絹糸」「アルゼンチン」は、私の貧弱な想像力・創造力ではどうしょうもなかったのですが・・(苦笑)
ところで、突拍子もない話だが氏のブログ「顎のはずれた鯨」を私は長い間「・・・鰐(わに)」と読み違えていた。正しくは“鯨”と知ったのはホン最近の事である。
“鯨”ではイメージが合わないのでは?・・氏が“呑気な鯨”であろうはずがない。氏は“獰猛”である(笑)「顎のはずれた」ではなく「顎をはずしている」のである。スキあらば喰いつかんとする“仕掛け”なのである。再度言う氏は「獰猛な鰐」である(笑)・・しかし時折“ 純な夢見る詩人”を演じる・・愛すべき尊敬すべきエンターテナーなのである。
いずれは剥製にして、永久保存したいものである(笑)・・
私の“4畳半的狭小”な“凡作”をひとつ「戸の隙をよぎる僧列仏の間」

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