久世光彦の『百間先生月を踏む』の、百間先生は借金を逃れて小田原の寺の仏具小屋に住んでいるという設定で、それに身の回りの世話をする15歳の小坊主、果林がからむ。この果林は15歳ながら百間先生のおともで女を買いにもでかけるし、なじみの娼婦をちゃんといるというマセぶりで、それだけでなく百間先生の小説(作中小説)に「他愛ない」とか何かと難癖をつけたりもするのだが、その実、百間先生を尊敬するもっとも熱心なファンでもある。
かって江戸川乱歩を自在に取り入れて久世光彦の小説にした『一九三四年冬―乱歩』では濃密なエロスによって、独特の虚構世界を堪能させてくれたが、この小説のテーマに括るのは難しい。ユーモラスなシーンは多いし、小坊主、果林と先生の問答も滑稽な会話が多いが、果林に言わせると「先生の小説は人を食う支那の黄色い獣や、婆さんに姿を変えた狐といった化け物がしょっちゅう出てきて人を怖がらすけれど、先生が何よりも怖いのは「人間」なのだと思う。」「百間先生は生きている人間の気持ちが知れないからだ。」ということになる。
時空を超え、魑魅魍魎の跋扈する異界がさまざまに繰り広げられる。
ある時は長安の都を彷徨い、軍服にあこがれてロシア人としてロシアの国に立ち、突然、サーカス小屋でたてがみを靡くかせて団員を追いかける一頭の獅子がいて、その団員が似合わない服を着た死んだ父であり、団員を助けに一輪車でやってきた女は、死んだ母で、体を硬くして見ている私をひょいとすくい取った。
座敷の真中に井戸かあって、その井戸は死界への往来可能で、その家に見覚えのないお房という女に誘われてでかげるのだが、どうしてもその女を思いだせない。
「井戸の部屋の襖をあけて私はほんのしばらく息がとまった。三人の女が青黒く干乾びて一人は縁側に、一人は床の間に、もう一人は井戸に半身を投げかけてーみんな死んでいた」先ほどまで私を接待してくれていた女達の死顔をみて、それが若くして死んだ同級生であったり、幼稚園の先生であったことを思い出した。「待ち切れなかったのね」「お房の声が薄氷が張ったみたいに冷たかったので、私は帰りたくなった」「みんな英造さんといっしょに井戸に入りたがっていたのに」。※英造とは百間先生の本名である。
「井戸はその土手より長く、深いらしい。息を詰めて覗きこむ私の肩に、お房は白い手をかけて、誘うようにいい匂いのする顔を近づける。細い息のなかに(正露丸)の匂いが混じっている。私はお房の顔をまじまじと見た。お房は目じりをさげて頷いた。家を囲んでいる竹林が声を合わせて風になった。」
「ばあやん!」
「私は顔色を失くして叫んでいた。祖母ちゃんだった。」

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