日常のありのままを、そのまま言語化することで事足りる書き方では、言葉にかかわる意識すら生まれにくく、韻文の何であるかを学習することもなく、誰でもわかる散文の17音字化を川柳として流通させてしまう。その多数に改革を求めることは不可能だとしても、せめて川柳伝統の本質ぐらいは勉強して欲しいものだが、川柳にたった一つの、しかし巨大機構となってしまった日本川柳協会が、川柳の伝統を説きながら、実は不勉強な役員たちの都合のいいように、伝統を変質させていることに気づくものは少ない。
あるいは気づいても我関せずの姿勢を通している日川協会員も少なくない。今の上層部ではダメだ、と吐き捨てるのなら改革の意志を示すか、会員をやめるか。さもなくば黙って息をひそめているがいい。いつかは飴玉の一つぐらいは貰えるかも知れないという、愚かな期待を抱きながら、他の場所では反日川協的発言をしないことだ。あなたに川柳改革の資格はない。
※私も勉強は嫌いだが、日川協会に入るつもりもないから不勉強でいいのだ。

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