特別ゲスト・明川哲也氏
1990年、ドリアン助川の名前でロックバンド「叫ぶ詩人の会」を結成。1999年に解散後、ニューヨークで生活、帰国後の現在は明川哲也で執筆・音楽活動を再開。歌うアルルカン(道化師)として朗読と歌をミクスチャーしたステージを、ギタリストのMITSUとともに、「アルルカン洋菓子店」のユニット名で全国展開中。
何の予告もなしに、手ぶらのままふらっとマイクの前に立った明川哲也は、誰に問いかけるふうもなく、ひとり言のようにアルチュール・ランボーを語りはじめた。
きびしい母の教育と戒律の日々を逃れるように家出を繰り返し、15歳で詩を書き、19歳で筆を折ったという。そのわずか四年ほどの間に詩人ヴェルレーヌに出会い『地獄の季節『イリュミナシオン』などによって「早熟の天才」と評価されるようになる。
明川氏によると、19歳で筆を折ったのではなく、原稿用紙に詩を書くのをやめただけで、新天地を求めたのも、職業を転々と変わりつづけたのも彼の詩だったという説は説得力があった。では、骨肉腫の悪化、右足を切断した癌は全身に転移して死去するまでのすべてもまたランボーの詩ということになるのだろうか。
しかし、ランボーの死後、彼の詩を持ち歩き、ランボーの詩の評価を高める始まりは、ランホーがあれほど嫌っていた母だったという説は、あまりにも日本人好みのエピソードになりすぎていないかという気がしないでもない。
そして、初期を代表する作品として、 荒れ狂う暴風雨の海で漂う船に見立てて、これからのランボー自身の人生を描いた詩のようだといわれる長編詩<酔いどれ船>の、原稿なしの朗読で締めくくった。
やっぱ・・すごいは・・。

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