明日から二日間、東京出張。次の5日は広島の原爆慰霊祭に行かなければならないが、川柳教室があって、広島は代理を立てることにした。原爆忌ももう60何回目になれば、永遠の祈りを否定するつもりはないが、千羽鶴を手向けるだけの形骸化した形式主義に陥っているのも事実。黒い服と黒いネクタイがカンカン照りの真夏の異様な風景になってしまった。せめて鎮魂の儀式を夏に相応しい服装に戻すだけでも、歳月と時代の変化に適応できはしないか。
しかし、黒服と黒いネクタイで、身を律することが鎮魂と思い込んでいる形式主義者に、これを提案することもなかなか勇気のいることで、もし提案しても、圧倒的多数の正義に否決されるのはわかっているから、毎年、暑さに喘ぎながら、ギャングのように着崩れた黒服で参加している。
私が毎年参加している慰霊祭は、総理大臣も出席するあの原爆慰霊祭とはまったく別のものだが、しかし、全国規模のこの慰霊祭の現実も、鎮魂というよりも、あの種の政治運動になってしまったと嘆く声が少なくないようだ。

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