生きている人も通っていい通路 久保田紺
読みかけの私にしおり挟まれる
先生にもらう見え過ぎないあかり
帰れない場所から風が吹いている
再会の日まで四つに畳まれる
創作とは創ることであり、創るには当然技術がいる。しかもその技術の痕を見せてはならない。そんなことを思いながら「旬感」9号の久保田紺の作品に立ち止まった。さりげなくやさしいが日常あるいは心の報告ではない。「思い」という情念とも違う。日常と折り合いの付けられない、自らの生きて在ることの精神の一か所を、もう一人の自分の視線で客観的に言葉に託す。言葉にテクニックの手垢がついていない。
「生きている人も」というからには、その通路は生きていない人の往来する通路だが、そこに久保田紺の、生と死の均衡を保とうとする死生観が現れる。「読みかけの私に」「先生にもらう」「再会の日まで」そして「帰れない場所から風が吹いている」など、いずれも気づかれないように、生と隣り合わせの死を見つめているようだ。だからこそしずかに生が躍動する。

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