(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し
最近、朝日新聞歌壇で、公田耕一なる人物が話題になっているという。本名かペンネームかはわからないが、住所欄に地名ではなく「ホームレス」と記されていたことからホームレス歌人と呼ばれ話題になっているらしい。
私は個人的に「ホームレス歌人」という呼び方は、言葉の前提に差別意識が働いているようで好まないが、新聞社好みのセンセーショナルなネーミングではある。勿論、脚光を浴びているのは作品の良さが前提にならなければならないが、『「柔らかい時計」というのは、画家サルバドール・ダリの作品として有名だが、住むところのある人間とホームレスの時間の流れ方の違いを表現したものだろう』といわれ、『「水葬」は、戦後を代表する歌人、塚本邦雄の第1歌集『水葬物語』を意識したもので、公田氏の短歌の素養がうかがわれる』と、作品と資質に高い評価が与えられている。
親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
は、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の3人の撰者が同時に採る秀作で、これを永田氏は「親が生きていてこその親不孝だが、『親にもなれず』なる四句に万感の思いがある」と評したそうだ。
勿論、作品の質の高さとは定住者か住所不定かによって語られるものではなく、高名な3人の選者が評価したのはあくまでも作品である。しかし、意識あるいは無意識の中に「ホームレス歌人」という幻想はなかったか。
すでに一般投稿にもホームレス歌人へのメッセージや、自らの身を公田氏に重ね合わせたものが多く、アマチュア歌人らの衝撃や共感の深さを映しているとも言われている。だが「ホームレス」とはあくまでも自主的に名乗っているにすぎず事実を確かめることもなく、周囲の話題性だけで幻想化されてゆくことに、公田氏自身が苦笑いしているように思えてならない。
鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る

0