当時、保育園だか幼稚園だかへ行くといえば四歳か五歳。いま思えば、やたらに工場ばかりがあって埃まみれの町には似合わないキリスト教会の幼稚園に行っていた。「シュハキマセリ、シュハキマセリ〜シュハ〜キマセリ〜」などと歌っていた記憶もある。いつも女の子にも泣かされる弱虫で毎日ビービー泣いていたような気がする。泣き虫のうえに、もう一つ保母さんを困らすことがあった。ちゃんと言葉は喋れるのに、うんちがしたくてもセンセイにそれが言えない。言いたくてもじもじしているうちに、パンツの中に洩らしてしまう。それも一度ならず・・。困り果てたセンセイは母を呼び出した。
父が出征してから母と私は母方の実家で暮らし、母は近くの耐火煉瓦工場で働いていた。そして休めない母に代わって、私より10歳年上のオジ、つまり母の弟が来てくれた。そこで15歳のオジがセンセイとどんな話をしたのかは知らないが、オジはうんちまみれの私をおんぶして、「重いなあ、すこし歩けよ」といわれる度に私はイヤイヤをしながら家路をたどる。
母の実家は貧しい長屋なのに、なぜか裏庭にもとからそこにあった岩のような大きな置石があって、その上に立たされた私のお尻に何度かバケツの水がふっかけられ、オジの素手でごしごしと洗われ、タオルでこするように拭かれるのがなんとも気持ちよかった。そんなことが何度かあって、センセ〜うんち・・と言えるようになってからも、ときどきオジを困らせるために、そして岩の上でごしごしお尻を洗ってほしくて、わざとパンツの中にうんちを洩らした。

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