帰りました。14日の役員会に始まり、15日本会議、16日分科会、17日総括と役員選出。なんせ1600人のマンモス会議だけに湯田温泉はほぼ貸切状態で、分散したホテルも、バス移動もかなり混乱しながら進んでゆく。
本会議は私の挨拶に始まる。「政治は国民生活を置去りのまま政局を優先し、経済はなりふりかまわぬ利益優先の原理主義に狂奔し・・よき隣人たち集合体であった社会は個人中心主義、つまりは我侭な個人の集まりとして崩壊しつつある。しかも国は本来平等であるはずの人間の格差社会を作って恥じることがない」・・と、自分の原稿なのに内心では大げさだなあと苦笑しながら五分間。だが会場が大きいときにはこれくらいテンションあげないと圧倒され、こちらが萎縮する。出だしではざわついていた1600人の視線が集中してくるのがわかる「そうだ」と野次が飛び交う。少し気を抜いて笑いを入れる。このコントロールができるときは調子のいい証拠。
しかし、後がいけません。とにかくひな壇はあつい。照明の熱気が眠気を誘う。隣の人に居眠りしたら突いてくれるように頼んだのが安心感になったのか、まだ昼前だというのに脇腹を二度も三度も突かれた。午後が思いやられる。こんな繰り返しの4日間。会議の隙間はあとはだらだらと珈琲をすすり、もう5時頃から温泉に浸かり、毎晩大宴会である。さすがに3日目の宴会では何も箸をつける気にならず、怒声に近い会話にうんざりして座を抜けだし、何人かと街のラーメン屋に落ち着いた。
部屋が寝静まった頃、眠れないままにこの4日間に川柳は4日分進み、私は4日分取り残されたことになると思うと、かすかに焦る・・。

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