私が川柳を始めた頃、すでに第一線で活躍していた海地大破は目標の一人であった。今は創立した「川柳木馬」からも退き、悠々自適の中で後進の指導にあたり、ときに清水かおりや、山本三香子が選者になった大会などに岡山あたりまで顔を見せてくれる。
もし命があったら定年後には放浪の旅に出たいと熱望している。私はあらゆる権力に抵抗してきたが、「今君のついている地位(課長職)そのものが権力だ」と指摘されたのは大きなショックであった。少し話が飛躍しすぎるが、私は一切の権力を断ち切った乞食という身分において、弱い人間の結びつきを獲得したいと願望しているし、そのことを自分の川柳の基盤にしたいと考えている。(海地大破-S61年・川柳展望44号)
※「乞食」ということばはすでに社会から封印された言葉ですが、他のどのようなことばに置き換えても大破の真意は伝わりにくく、あえて原文のままとします。
おなじ高知の同志、古谷恭一は、「川柳展望」の大破の作家論において「異端の風景」といい、渡部可奈子は「乞食の無防備、無手勝な暮らしにいのちを晒して、生死それぞれの位相の非連続を見据えたのち、自らの生から死へ、さらに他者の生から死へと眼をやしない、こころを培ってゆく大破のこころの暦日だ」と、大破の内面に鋭く切り込んでいる。
雨だれをじつと見ている脳軟化
春の猫青の世界へひるがえる
通夜の酒月は頭上を通過せり
わが死後のコップの水の明るさよ
(つづく)

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