戸籍上の正式な名前は桃太郎、通称モモ。雄。
年齢不詳だが後期高齢犬であることは間違いない。最近、目がかすむのか、耳が聞こえないのか、あるいは鼻が利かなくなったのか夜の散歩を喜ばなくなった。わずか15分ほどの散歩の途中で何度も休憩する。家のほうに向きを変えるといそいそと歩き出す。
小屋につながれたままでは絶対にしなかったおしっこも、一年前から遠慮がちにクサリの届くもっとも遠いところにこぼすようになった。ところは最近はおかまいなしにどこででもする。まさかパンパースというわけにもいかず、自由にさせているのだが臭くてたまらない。「コラッ、ここでションベンするな」と、いましたオシッコに鼻をこすりつけてやるのだが、彼にとってはただのいじめでしかないらしい。悲しそうに目をするからやめた。
水に入るのが好きで、すぐ溝に飛び込む癖は相変わらずだが、30センチの縁が上がれない。溝の縁に足をかけてもがくのが精一杯である。その度に手を貸してやるのだが礼を言われたことは一度もない。飼い主の当たり前の行為と思っているらしい。
夕方の野原に放してやったとき、いつもは目の届くところから離れないのだが、よほど喉が渇いていたのか、用水路に飛び込んだ。縁の高さは1メートルもあるのだが、野原を駆け下りてゆく勢いでそのまま飛び込んだ。
久し振りに若やいで青年の頃のようであった。
勿論、上ることは出来ないが、上るという意志もないらしく、縁の上から追いかける飼い主をからかうように、どんどん下流へ進んでゆく。用水路は川につながり、川は海へ流れてゆく。このままほっとけば朝までに死んでしまうか、何日か後に海で死んでいることにも成りかねない・・というのは妄想にすぎないが・・。
救急車を呼ぼうか・・そんなバカな・・。
飼い主は靴と靴下を脱ぎ、周辺に誰もいないことを確かめてズボンも脱いで用水路に飛び降りた。飼い主だって若くはないのに、モモは久し振りに手に入れた自由を愉しむようにどんどん遠ざかる。手近なところにあった竹ざおで頭を一撃し「コラッ」と一喝したら、さすがに我に返ったのか、飼い主に擦り寄ってきた。
さあそれからが大変である。ずぶ濡れの犬を抱きかかえて、担ぎ上げるように縁に下ろし、「動くなよ」と一喝して、やっと飼い主も這い上がった。
もうとっぷりと日が暮れていたのでよかったが、靴と靴下をぶら下げて全身水でぐちゃぐちゃの飼い主と、これも全身ずぶ濡れの羽抜け鳥状態の老犬は、哀れな姿のまま月の明りに肩すり寄せるようにして家路に向ったのであります。
・・などとつまらないことが書いてあります。どうぞ読まずに次へ進んでください。
・・ん?・・読んだの?・・バカだなあ・・。

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