ー「およそ」には匂いもかたちも質量もない。目に見えない、共有しがたいもの。ーと誰かのブログに書いていたが、たしかに言葉が形としてイメージしにくいだけに作りにくく、しかし、それが自由にイメージ化できる言葉として縦横な作品を生むバネにもなる。選者にとっては厄介な課題だっただろうが、その点、清水かおりの「およそ」の選は適役だった。
準特選
いもうとをはかる三十センチさし 一筒
この句、すてき。とってもすてき。句の背後に物語がわらわらと立ち上がってきます。
日本家屋の、鼻をつけると埃っぽい香りのする壁。木目の荒れた柱におすましして背をもたせかけるいもうと。いもうとは三十センチさしでみっつぶんと少し。床に立てた「さし」の上限はいもうとのひざこぞうのうえあたりでおにいちゃんはそこに指をあてて「さし」を上にスライドさせる。*ちょっとエロチックな感じもするなぁ。***測るのは背丈ばかりではないし(・・・)あるいはいもうとはロボットかもしれません。
ころんとテーブルに横たえたいもうとをしかつめらしく測っているのは白髪の老人なのかもしれません。(某ブログよれ)
一時間あればおよそも燃え尽きる 柴田夕起子
特選
海峡はトランポリンで越えられる 富山やよい
数字的、あるいは物事につける言葉としてのいい加減さとか、形がなく頭に残らない言葉で困った題をいただいたと思いながら選をした。しかし、選をしながら「およそ」の曖昧さとかいい加減さが日常的に大切な言葉だと気づかされた。「いもうとを」の作品は、血肉を分けた、つまり血も骨も肉も「およそ」でできている身体とし、肉親の愛憎がメッセージとして伝わってくる。あえて一時間と限定することによって「およそ」の意味を問う「一時間あれば」。そして特選は、「海峡」「トランポリン」と結びつかない言葉の取り合わせが、現代的な精神の喩として新鮮なメッセージを強く感じた。総体として日本語の含んでいる複雑なイメージを強く認識した。(選者)
はるか海峡をかるがると超えてゆく明るい飛躍、明朗な精神性は確かに現代が持っている一つの精神を象徴している。(筆者)
およそはいらない真水をくれたまえ 小池正博
およそ満月いまなら片手で割れる 兵頭全郎
およそには危険分子もふくまれる 中西軒わ
日銀の総裁なんて桜餅 むさし〜〜
ひかりごけおよそのことは聞いている 明

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