言葉の意味を逃れたいと思ったことはありませんかと誰かがいう。愚問だなあ・・。
言葉の意味を逃れるために岡山駅8番ホームに降り、ションベン臭い地下道を西口へ向う。だがやっと出口に辿りつけば、そこは切手二枚で封鎖されているではないか。今朝は通れたはずなのに・・。まあ切手なら舐めれば剥がれる。私はいつも○○○を舐めるように、唾液が悲鳴あげるほど舐めつづけて、やっと剥がれた穴に身をかがめ、産道を通る赤ん坊のように西口へでた。
行きつけの寿司屋の前の痩せた犬が、目頭を押さえて泣いていたが身内の不幸でもあったのか声もかけずに通り過ぎる。あいにくの雨で握り締めた千円札はもうぐじゃぐじゃになる。その隣が今日の朗読会場「未完成」である。
入り口の胡散臭い男に千円を払う。象のように優しい目をした男の無愛想なのはまあいいとして、千円も払ったのだから、せめて千五百円分の詩は聞かせろよ・・。
チップははずむぜ・・。
大朗読会は訓練をした集団の朗読ではない。詩人の表現の一つのパフォーマンスとして趣向を凝らす。シャンソンでも歌うように朗読する女。私の一押しの郡宏暢さんは一昨年の詩のボクシングの岡山の優勝者だけに表現する力は筋金入り。
しかし、なんと言っても圧巻は、ウロボロス高校第三演劇部副部長のセーラー服が似合う石原ユキオちゃんのパフォーマンス。もう一人、高校生ふうの男と二人、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」をキーとして連発しながら、・・顎のはずれた鯨・・など言葉を弄び、観客を挑発するパフォーマンスはかなり刺激的であった。
石原ユキオちゃんは俳句をやる。魅力的にヘンな俳句である。感性は遊魔系・・と私は思っているのだが、このセーラー服のユキオちゃんのお母さんが、かって「ますかっと」の仲間であった石原伸江さんだと聞いて驚く。
顎のはずれた鯨読んでいるのかしら。それとも偶然かしら・・私へのサービスかしら・・。

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