島から何かが一つずつ消滅し、記憶が消されてゆくようになる。タンカーが消滅し島から外に出ることもできなくなるが、島民はタンカーがかつてあったという記憶も消滅しているので何の不便も感じていない。
すでに宝石もその記憶も消滅し、ある日、風が吹き、植物園の薔薇はことごとく花びらとなって川を流れて、島中の薔薇が消滅する。人々は花瓶の薔薇も、庭に咲く丹精の薔薇も川に流した。もし何か消滅するものを密かに保存したり、記憶にとどめているものは秘密警察に連行され、二度と家には戻れない。
雪もタイプライターも西瓜も鳥も本も消滅する。
消滅するものをいとおしみ、保存し、それを記憶にとどめていた母が秘密警察に連行さ、一人暮らしをしている小説家の私は、消滅を自然の摂理のごとく受け止めていたのだが、おそろしい記憶狩りに近いしい人たちの運命が翻弄されていることに愕然として、一人の編集者を地下室に匿う。だが、小説が消滅し、言葉が消滅され、やがて、消滅は身体に及び、声を失い、手、足、そして「私」が消滅されてゆく・・という怖いお話は小川洋子の「密やかな結晶」。

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