私たちはよく「大嘘を書いてみたい」「なんでもあり」「言葉をずらす」などとやや乱暴な言い方で川柳を挑発することがある。しかしこれは、そういわざるを得ない事情が川柳に重くのしかかり、身動きのできないところで次第に衰弱してゆく川柳の背景があった。
たとえば「穿ち・滑稽・風刺」は古川柳を分析した結果の三要素であったのだが、盲目的にそれに追従することが伝統だと信じている一派は、これを必須条件にしてしまった。そして、たった17文字の詩形に誰でも参加しやすいように鋳型を設定してしまったのである。穿ちの鋳型、滑稽の鋳型、風刺の鋳型・・・。
あるいは「思いを書く」というかなりいい加減な鋳型もある。しかし、鋳型があることで作者は安心して句を作ることができる。鋳型通りに作っておけばそれなりの評価はされるし、大会でもよく抜ける。少しの関心があれば大会の句がここ数年代わり映えのしない堂々巡りを繰り返しているのが解るはず。鋳型の弊害である。
季語もなければ切れ字という制約もない自由が川柳の本分であったはずなのだが、暗黙の了解事項として出来てしまったさまざまな鋳型が、実は川柳の動脈硬化を引き起こし、日に日に衰弱してゆくことになるのだが、そこに危機感を持つものは多くはいない。

0