裏庭に家三代の総入歯
シナモンをふりかけ東京の妹
読みびとは知らずに兄は日章旗
日照権 姉の襟にも愛宕山
「総入歯」は「家三代」の怨念を剥き出しの形で裏庭に置かれている。あるいは生息していると読むほうが作者の意図は捉えやすい。いずれにしろ表の屈託のない権威の象徴のように広がる明るい庭とは違う、家系の暗さがそのままじっとりと湿った空間になる「裏庭に」は、忌わしい家族の記憶を象徴するように「総入歯」があるというおぞましさは、良祐の負の記憶が作り出した光景であろう。
「東京の妹」を私は「パンパンの妹」と読んでしまったのだが、そう読むことで「シナモンをふりかけ」は一句の中に正当な意味を得たといってもいい。「兄は日章旗」は安易だが、「姉の襟にも愛宕山」に悲歌の趣がなくはない。だが「日照権」で通俗的な読みは拒否してしまう。言葉はしばしば分裂状態を引き起こしながら、ときに呪文めくのは、彼の言葉の構造がすでに意味を拒否する儀式化に向いていたことを表わす。唐突なようだが、彼の言葉、そして川柳は、彼自身の解体のミサではなかったかと思うこともある。

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