昭和58年といえば24年前か、当時中学校PTAをしていた私と、国語教師のKと二人で15ページほどの詩の冊子を出したことがある。創刊号を出し、その後PTA会長として学校側の用心棒になってしまった私と、日教組の闘士として剥き出しの活動に傾斜してゆくKと、ついに2号を出すことは出来なかったか、その冊子にこんな落書きを残していた。
健康のために煙草は喫わず、晩酌は葡萄酒一杯に決め、エレベーターは使用せず階段を駆け上がり、「愛してるよ」と日に三べんは妻に囁き、月に一度はレストランで家族団らんの刻を過ごす男に詩を書く資格はない。
詩を書く男にロクなヤツはいない・・とも言える。
ハングリーな詩は誰にでも書けるが、満ち足りた詩はむつかしい。
小津安二郎映画のごはんを食べるシーンは満ち足りた詩か?
深夜のスナックで突然裸になって相撲を取り始めた二人。よろけて、ひっくり返って正気の沙汰てはなかったが、詩を書くこともこれに似ている。
運動会が済んだ日から、来年の運動会を楽しみにしている男たち。
もしカラオケがなかったら大半の男たちは自信喪失のまま死ぬる。
フスマは破られるためにうつくしい。
男は放浪に憧れ、結局は未遂に終わる。
写楽も与作もシェルソミーナも旅にでた。
わけ分からない戯言だが、その幼さが懐かしい。

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