11月27日だったかの「70%の闇」に次のような投稿が寄せられていましたので紹介します。言うまでもなく、私のいう「無意識」は創作上の概念であり、科学的論理にもとずくものではないことも書き添えておきます。書き込みありがとうございました。
人間の持つ無意識の心の広さは、すでに100年以上も前から科学として確立されてきました。人間は自分の持つ無意識の心の広さの前に、絶えずたじろいできたのであって、その心の闇の全貌をつかんだ人間など今まで1人も存在して居ないとと言っても過言ではありません。精神分析の専門家フロイトは「イド(無意識)のあるところに自我(意識)をあらしめよ」と言っています。
しかしそれはあくまでも、それがいかに難しいことかを自覚した一人の天才によって発せられた言葉であり、しかもそれは精神分析の専門家による、患者の壊れた心を安定されるための非常に難しい治療手段であって一般の人々に当てはまるものではなかった筈です。
人間の心には必ず「明暗」がある。光あるところには必ず影がある。人間は自分1人の心さえ自由にできない存在である、ということを人は忘れています。
人間の心とはとてつもなく広くまた深い、コンピュータ仕込みのロボットにある一定の行動パターンをプログラムしていくことは可能かもしれないけれど人間の心の闇とは、それとは比べものにならない、深く広く謎のなのです。
その心の闇の深さは、ユングによって「集合的無意識」という概念で言われています。

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