トマト色づき ラジオ体操第二まで 浪越康政
健全な社会人としてまっとうしなければならないジレンマを抱えた、社会に向ける批評であったり、己の内側に向けて放たれる糾弾は、「探知機が鳴っているわたしはナイフ」「ぽろぽろとネジ 足踏みをするたびに」などにストレートだが、自己の内側につもりつもった情緒の根源を、言葉にしてこぼす「トマト色づき」のやわらかさを採り上げてみた。
朝の光りの満ち満ちている広場か。確かにラジオ体操の群れを捉えているのであろう。しかし、緩慢とした時間の流れは、はたして現実の風景なのか。目に見える風景を、自らの内側に映像化し、自らの時間として創り出したものではないか。紗のかかった白い風景として、作者の内側に結ばれた像のゆらめき。一句とも呟きともつかぬ未完の言葉は、未完であることによってポエジーとなる。
現代川柳は難解だという声もあって、あえて以前の評をひっぱりだしてみた。

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