ある句会で「判官贔屓」が話題になった。
悲劇的英雄、判官源義経に同情する気持ち。転じて、弱者・敗者に同情し声援する感情をいう。歌舞伎の勧進帳のあの弁慶に打たれる場面はまさに日本人好みの弱者の美学。
だが奥州平泉で兄、頼朝に30歳にして討たれた義経は、実は死んではいなかった。といえば義経ンギスカン説になるのだが、まず荒唐無稽のはじまりは、義経を守り非業の死をとげた「弁慶の立ち往生」の謎から始まる。10数本の矢をうたれ、槍で突かれ、それでも倒れなかったのは、あれは藁人形だった。そして弁慶と義経は、蝦夷の砂金採りで名をなした金売り吉次の案内でひそかに蝦夷へ逃げのびたという。そのほかにもそれを立証するエピソードはいくつもあるのだが、特に東北地方の義経崇拝伝説は数え切れないという。
というような話を句会で延々とやっていると、ことのほか熱心に頷きながら聞いていた一人の老婆が立ち上がって、それでアジアを征服したジンギスカン(義経)は日本が恋しくなって攻めてきたのでしょうか。しかし、神風を吹かせてそれを追い返す日本人は薄情ですねえ。あるいは戦いを避けたのは同胞としての日本人の優しさかも知れません・・と。
おお〜おぬしなかなかのお人らしい・・よくよく聞くとかつては夫が歴史の先生だったとか「そんな話をよく聞かされました」と。・・・赤面・・。

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