昼のテレビで刑務所の内部が放映されていた。監獄法が改正されて快適な空間として刑務所も新しく生まれ変わると言う。新聞の購読自由、テレビもラジオも、雑誌の購入も自由で定期的にミニコンサートもあるという。まるでホテルの宣伝のようであった。そして受刑者たちのインタビューもあったが、これは勿論、判で押したように模範的回答であった。このテレビ局でいいところだけの演出された情報に、関係者も受刑者の家族も、一般社会も安心するに違いない。しかし、ここを出所したものの再犯率が60%という現実は何を物語っているのだろうか。
ルールに従っておとなしくしていれば模範囚となり出所が早くなるという。おとなしくしているだけではなく、罪を後悔し、被害者やその家族に反省の意志を持つことが模範囚の定義となるようだ。しかし、人間の心理がそれほど単純なものだろうか。
ある殺人犯は、殺人を犯した以外は知性も教養もある社会人として認められていた。そして服役し、刑務所(社会)のルールに従い、教師としての経験を生かして本の編集か何かを任されていた。物腰はやわらかで丁寧な言葉遣い。所長も看守も一目置くほどの模範囚として評価されていた。当然彼は刑期の半分ぐらいで出所することになる。
だが、彼にとってルールに従って生活するのは当然のことであって、決して自分の犯した罪を反省していたわけではない。それどころか、二人のうち一人は未遂で終ったことを後悔までしている。「もっと完全に殺すべきだった」と。彼の心の闇を知らず、見ようともせず、刑務所の所長も保護司も、墓参りをするとか、反省を形に表すように彼に勧めるようになる。そして、やっと再婚に漕ぎ付けた妻までも、反省を形にしない夫に業を煮やして、勿論善意なのだが、被害者の位牌を買ってくる。「これに毎朝手を合わして」と。心の底から愛していた貞淑な妻が近所のだらしない男と自分の家で密通し、その現場を目撃し惨殺したことを後悔していない男は、新しい妻の理不尽な申し出に戸惑い「ほっといて欲しい」と呟きながら、なおも執拗な妻を階段から突き落とす。
という小説は吉村昭であったか。ホテルのように快適になった刑務所が、はたして服役しているものの心の闇に届くのだろうか。

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