弔いの旗を先頭に、葬列は畦道を通り、少し高い位置にある駅の下を迂回するように薄暗い穴門を潜る。向うから射しこむ光だけを頼りに、白提灯の揺れている様は子ども心になんとも不気味で、思わず俯いて手を握り締めたものだが、穴門を抜けるともう人家はなく、無秩序な墓群が現れ、その墓石の一つ一つが「きたきた」とでも言うようにいっせいにこちらを向くような気がした。
その一角に焼き場がある。といっても申し訳程度に二方にレンガが積まれ、その真ん中の灰の積もったくぼ地が焼き場である。とても火葬場と言えるものではないし、勿論、火夫もいない。
うずたかく敷かれた藁の上に柩を置き、周囲に割り木を積み重ね、親戚の二人の男が、手に手に松明を持って柩の両方の端にたつ。そして掛け声とともにその松明を藁に突っ込む。藁にはあらかじめ油を染ませているらしく、火の手は一気に空さえ舐めるほどの勢いで燃え上がる。
その火の中に人間がいる・・と思うまもなく「さあ・・お別れはこれで済んだ、帰るぞ。子どもたちは振り返らないように、ふりかえったらおばあちゃんに連れていかれるぞ」と冗談も本気ともつかず笑いながら言うのだが、これは子どもにはきつすぎる。ふり返ってはいけないと思えば思うほど、ふり返りそうになる衝動で子どもの心は張り裂けそうになる。そしてあの真っ暗な穴門に入ると、決まって年上の従兄弟が背中からワァッ・・と声を出して驚かす。この声を合図に子どもたちはワアァ〜と声を上げながら穴門を走り抜ける。
しばらくの時間を置いて大人たちは骨あげにゆく。前に何気ない会話の中で「火の回りが悪かったか、足首のへんがよう焼けてなかった」というのを聞いていた私は「オマエもいくか」と父に言われて、「絶対いかんっ」と逃げたが、私の脳裏には足首どころか、おばあちゃんの半分が残っているかもしれないという怖ろしい妄想が駆け巡っていた。
なぜこんなことを書くかというと・・・。

0