インターネットの連句を遊んでいる。本式のはやたらルールがあって素人には馴染みにくいが、しかし、あのおだやかな自然の流れが、実は式目という細かいルールによる「付けと転のメカニズ」の機能によってなりたっているのは驚く。本来は「捌き」という選者(?)が存在し、座はその差配で
進められてゆくようだが、勿論、ネット連句に「捌き」は存在しない。
「付け句は前句にのみ付いて、打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も 何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。このような詩制作の手法はどこの国の文芸にも見られない、私どもの先祖が新しく創り出した独自のものである。究極においては、この独自の運動メカニズムさえ失わなければ、その一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(ネット連句マニュアルより)
私の愉しんでいるネット連句は、特にルールというものがない。ただ、長句575と、短句77を交互に付けてゆくだけだが、一応のマニュアルがあり、「打越」「観音開き」「季気移り」「季戻り」などの常識だけは知っておく必要がある。「月の座」「花の座」という定座(?)はない。「雑」の句が多いのも私には好都合だ。結構スリリングでおもしろい。
素人の誰でも参加型の他愛ないといえば他愛ない遊びだが、気づかずにルールを侵すとどこからか「打越ですよ、直してください」「三句がストーリーになってます」といったメッセージが入る。メンバーの中の何人かが
「捌き」の役目を担っているのであろう。
そして、ふと気がつくと、何の脈絡もない素人の付け合いが、実は一つの詩型として延々とつにがっているのに気づく。そして、ここに参加しているのはまったくの素人はすくなく、かなり連句にかかわっているらしい達者がかなりいるのにも気づいた。

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