思いの架橋―草地豊子の場合
「遠景」
ひっそりと三和土に並ぶ靴の穴
静脈をつたって錆びた雨が降る
グラビアを咀嚼しているおじいさん
纏めるとセルの匂いのする家族
押入れにびっしり積もる桐の花
オリーブ色の月を背負って姉帰る
オクラホマミキサー鳴って水底へ
平凡な紅い金魚が生き残る
掃除機を引いて花野に来てしまう
息継ぎの微かな音がする柱
草地豊子の岡山県文学選奨作品(平成十六年)に「長い歳月をかけて三和土にできた穴は、まぼろしのように残されたくぼみであり、父の残影を現す。そして、作者の内なる『遠景』はこの一句にはじまり、仮構的に書くことによって、遠ざかってゆく家族の歴史を家族幻想として、自分の内部に呼び戻す作品群」と書いた。
彼女の川柳に関心を持つようになったのは五、六年ほど前からであろうか。それまで、同じ岡山の「川柳塾」に所属しながらあまり話をした記憶はない。しかし、県下の大会で耳にする彼女の作品は常に一味違う響きをもち、いつしか気になる存在になっていた。数年前の玉野川柳大会の墨作二郎選で彼女が「お醤油の瓶を覗けば深海魚」で特選になり、私の句が準特選になった。私は口惜しまぎれに「『お』に負けた」という小文をどこかに書いたこともある。しかし、この頃の豊子作品はまだ焦点が定まっていなかった。
そして、平成十三年創刊した『バックストローク』に同人参加する。
ふるさとは崩壊途上納戸色
ぼうぜんと鶏頭ひとつ立っており
「納戸色」という屈折のともなう抽象性によって、崩壊の進むふるさとの景色と営みを、感性の中に取り入れる。あるいは、同質の感性で捉える「鶏頭ひとつ」など「思い」をベースにした独自の対象把握に非凡な資質を覗かせはじめる。この創刊号で石田柊馬は「川柳を書くことでしか巡り合えない{発見}と、その、言葉が、{抒情}を増殖することは、いつかどこかで、川柳という文芸の質の検証があれば、一つの大きなテーマになるだろう」と書いたのだが、これは草地豊子の抱え込むテーマでもあった。しかし、彼女がそれを自覚していたわけではない。

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