山茶花さんとの出会いから、もう何年になるだろうか。
初学の頃、新しい川柳を試みている研究会があると聞き、その「米の木」ぐるーぷという会を訪ねたとき、もう季節は忘れてしまったが、昼下がりのやわらかい陽射しの中で、白っぽい着物姿の品のいい女性に迎えられた。「まあようこられた、さあさあ」。ああこの人が山茶花さんだ、と私は直感した。当時、岡山の中心的柳誌「ますかっと」にあって、西山茶花はもっともよく読まれている作家だと誰かに教えられていた。
萩叢にひそみて以来 姉は萩
恍惚と抱きころされる みおつくし
ならばたとえば保名の風を道連れに
あやうさに惹かれて行けば霧笛鳴る
刃こぼれが生んだ恋とも憶うなり
紫陽花のたわわに死ぬる邪魔をする
これらの句の、川柳という形式を思いのままに掌中に収め、絶妙な詩語をあしらいながら、山茶花調とも言われる独特の調べを紡いでゆく叙法は、他の追従を許さぬ流麗な言葉の華を思わせるが、その陰にこぼれる息の激しさ。隠しきれない自らへの謀反。瑞々しさを生きる情念のかたまりに触れた読者は、たちまち山茶花の世界の虜になってしまうのである。
当時、山茶花さんのお供で句会めぐりをするのが楽しみの一つであったが、その行き帰りの車の中で、まるで昨日みた映画の話をするように、さりげなく話す恋の話とか、生い立ちとか。かなり深刻であったのかも知れない一つ一つを、無邪気なお伽噺にしてしまう強さを横顔に眺めながら私は、「書く」という宿命に縋らざるを得なかった、山茶花の弱さもまた見てしまったのではなかったか。
「また句集出そうと思うんよ」。電話の向うから、恋をしているような弾んだ声が聞えてきた。
二ん月の鶴に泣かれる泣きたいよ
憶う人思いつくせり梨さくり
いちもんめの夢に朧の身を投ず
死に真似を笑い飛ばされ候よ
誰を待つ伽羅の青衣のたたみ皺
酷寒に立ちつくす鶴は作者の分身、そして悲傷の証し。「梨さくり」の軽みは、決して軽くはない心情の吐露。微量の夢にうたかたの身をまかす恍惚感。想念を一点に絞る「たたみ皺」の発見。「候よ」と言葉を削ぎ落とした果ての、死を恐れない生のしたたかさ。いずれも絢爛とした言葉世界の芯のあたりで淡い光りを放っている。
少し寒い日がつづくとすぐ風邪をひく細い身体に言葉を纏い、思いを紡ぐ川柳をバネとして半生をともにして来たその人の、さらに若やぐ句集であれば、さらなる山茶花調の結実を期待するのは私だけではないだろう。生涯一作家として、独自の境地に遊ぶ西山茶花の矜持と心意気を範として、句集発刊に関わらせていただくことを誇りとし、句集発刊のお慶びとしたい。
バックストローク発行人 石部明

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