顎のはずれた鯨
現代川柳はどこへ向うのかー言葉は私たちに何を与えてくれるのか
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2005/4/28
「断念の詩型B」
川柳
嘘はドロボーの始まりというが、言葉の表現の場合は、ウソは真実の始まりと言ってもいいだろう。事実の羅列はいくら言葉をつくしても、それは事実の積み重ねであって真実にはならない。嘘、つまり言葉の虚構をくぐらせて真実にたどり着く。これが表現というもの。
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投稿者: 明
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2005/4/28
「「断念の詩型」A」
川柳
勿論、川柳という形式にもたった17文字にすべてを書ききろうとする作品は少なくない。しかし、それらの殆どは読者に想像する隙間を与えず、完結したメッセージに自画自賛してしまうものが多い。「断念する」とは書かないことで表現すること。一句に書かれた言葉の隙間を、読み手の想像とイメージに委ねることでもある。それが短詩型の書くという表現であり、読むという醍醐味でもある。
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投稿者: 明
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2005/4/28
「断念の詩型」
川柳
川柳に限らず短詩文芸は「断念の詩型」だといわれる。短い、限られた字数と律に言いたいことのすべてを凝縮することは不可能で、言いたいことをガマンする。断念することによって、そこにポエジーが生まれるのだが、新しい詩型といわれる五行歌は、五行分ち書きという条件以外は、字数も律も制限がないという、その「何でもあり」の自由さが「断念」の邪魔になり、すべてを語りつくそうとする傾向が強い。これを見ていると自由という詩型が実は一番不自由な詩型ではないかと思えた。
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投稿者: 明
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