7日から月2回の山陽新聞社高島屋カルチャー川柳教室がはじまった。受講者は10名。マンツーマンの指導には丁度いい人数で、女性が8名、男が2人いて・・ホッ。いずれも初心者ではなく、ある程度柳歴のある人ばかり、というのはやり易いんだか、やりにくいんだか・・まあ頑張らろう。
本当は皆さんがあまり興味を示さない歴史を中心の講座にしたいのだが、やはり作句の短期上達が謳い文句だから、それを中心にして、少し歴史を勉強を挟むプログラムを組んでみた。
一時間ほど、川柳の現況と形式の基本を話して、あとは作句とその添削にあてる。この添削というのはよほど気をつけないと、どうしても鋳型にはめ込んでしまうことになるし、作者の個性を潰してしまうこともある。しかし、添削によって見違えるような句になるのは講座のもっともスリリングな興味のあつまるところ。「私ならこうする」と前置きをしていくつかの添削を試みる。他のジャンルでは添削はしないというところもあり、また俳句、短歌の結社によっては添削が当たり前というところもあり、功罪は半々だが、作句の一つの指針になるのは間違いない。
「作品に他人の手が入るのはよくない」ということで添削を否定する意見もあるが、これは正しいようで正しくない。添削はあくまで習作が前提であって、発表する作品を対象にすることはない。添削はあくまでも習作段階でのヒントと私は受け止めている。
作品批評はややきびしい対応をさせていただくが、決して感情で受け取らないで欲しい。批判を怖れず、日々新しい自分の発見を言葉の中で試みてほしい。手垢まみれの詩語は使わないで欲しい、と私のほうから三つの条件を出したが、皆さん大きく頷いてくれた。
いいメンバーだと思いたいし、私もいい講師だと思われたい。私がトイレに入っているとき廊下で「今度の講師は内容がある」と何人かが話しているのが耳に入ってホッとした。

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