7日
外練65キロ 2時間8分
午後3時頃から外練へ。
まあ無理なく流す65qで獲得標高877mUOな2時間ちょっと。
帰宅して腹筋台200で〆たら温泉へ。
サウナで汗出してプハ〜っとビール旨しな。
8日
外練52キロ 94分
午前中に軽く流したら、機材を整えてパッキング。
この日の夜7時発でセントレアへ。
空港内のカプセルホテル泊な夜。
9日
朝7時40分のフライトで那覇へ。
空港でチームメイトM田くんと合流して名護へ。
今年は盟友S根さんが、まさかのエントリー遅かったらキャンセル待ちもダメだったので不参加・・残念。
名護に着いたら受付して準備万端。
夜はいつものルーティンな食事で、おやつモグモグしながら夜8時には就寝。
10日
ツールド沖縄市民210q(5時間41分39秒 61位/314名)
レース機材
フレーム:スペシャライズドVENGE
コンポーネント:DURA ACE DI2
ホイール:ROVAL CLX50
タイヤ:S-Works Turbo RapidAir Tubeless Readyタイヤ26C
ペダル:SPEED PLAY

いたってスタンダートな機材で7.1sほどかな。
朝6時半頃から並んで、顔馴染みと挨拶や談笑しながらスタート待つ。
この日スタートアタックで逃げをうつ予定のメンツは右前方へ陣取る。
ワタシは逃げをうつほどの覚悟は無いので、それを見守るからねと。

スタートしたら予定通り約10名程のスタートアタックを見守るように最前方へ。
敬意をはらい見送り、そのまま最前方で集団真ん中。
いつものようにシクロワイヤードの写真におさまる。
この日は例年より少ない300名程の集団のオカゲで、普久川登りまでの前半の70qで落車クラッシュの嫌な音を聞くことも無く淡々と進む。
登りはじまる前には集団右側から前方30番手くらいまで上がる。
良い位置で登り始め、登りの前半は高岡選手の真後ろの5番手。
ただKOMまで1qの看板付近で集団後方まで落ちる。
あと少しなので粘れればとも思うが、無理せずな消極的な気持ちでドロップしてしまい、そのすぐ後ろの10名程の遅れ組みに吸収してもらいクリア。

1度目の普久川登りでパチリ。
この集団に居る限りは比較的楽にイケるので落ち着いて走る。
途中で落ちて来たり、後ろから上がってきたりする者も含めて大人数に。
その中に前夜夕食を共にしたチームメイトM田くん&石川県のT田さんも。
その他、知り合い多数で心強い?
数人に声をかけてもらい会話しながら、落ち着いて南下する海岸線もコナして2度目の普久川登り。

2度目の普久川もシャッフルされる集団に比較的無理なく着いて行けて足も余裕ある感じ。
2回目の補給所越えても例年より身体に余裕あり楽に感じる。
まあ先頭集団の後ろの集団で楽に走ってるので負荷もそれほども無いので当たり前かなと。
174q地点の慶佐次補給所過ぎて、そのさきの下りが工事の為に車線規制で一本ラインでしか下れないくらいにヤバいとの情報を集団内で地元の選手から受け取る。
地元の状況を知る選手を先頭に前方3番手程で下りはじめと・・・狭い下りで状況知らない選手が前へ・・・案の定落車発生。
ワタシの前でT田さんも転がる・・・(+_+)
ここの下りで集団も分断されてチームメイトM田くんも後方へ。
ワタシは何とか難を逃れて前に行った集団に追いつく。
目の前の落車で巻き込まれなくて良かったと安堵。
最後の登り羽地ダム前で先程分断された集団から数名追いついてくる。
なんとその中にワタシの前で転がってたT田さんも。
状況聞くと幸い機材無事で数カ所の擦過傷のみで、すぐさま走りだせて復帰したとの事。
そのT田さんはアクシデントで何かがブッ飛んでしまったのか、羽地ダム登り口から凄い勢いでダンシングでカッ飛んで行く(笑)
それに5名ほどが付いて行くラストに淡々とワタシも。
それでも羽地ダム過ぎての下りで再び他のクラスも含んだ15名程の集団に。
ラストのイオン坂は先頭付近でコナして集団ゴールへ備える。
スプリント始まって頑張るも・・・ラストはT田さんに刺されながらなゴール。
結果61位。
49歳、40代ラストイヤーのツールド沖縄210q8年連続の完走で終了しました。
ホントは年齢より少ない順位でのゴールをとの思いがあったんですが・・目標には至らず(-_-;)
2012年 73位 5時間48分45秒
2013年 52位 5時間51分8秒
2014年 81位 6時間7分17秒
2015年 40位 5時間55分7秒
2016年 72位 5時間53分1秒
2017年 129位 5時間55分18秒
2018年 126位 5時間53分54秒

2019年 61位 5時間41分39秒
今年の5月に恥骨・坐骨骨折して一時は年齢のこともあり、そろそろ危険な自転車競技も考えものかなとも思いましたが何とかツールド沖縄に間に合った感じでした。
しかも何となくゴール後も余力ありな感覚で疲れ切って無い。
もう少し追い込めそうだったかなとの感想。
集団に迷惑かけるようになれば降りるかもしれないが、もう少しこの競技を続けられそうかなと。
また来年、今度は50代となった身体で沖縄に帰って来れればと。
この日の夜は、無事にゴールしたチームメイトM田くんと早々に那覇のホテルに入り、国際通りの民謡居酒屋で飲み始め、栄町のディ―プな屋台を2軒ハシゴし、ラストは恒例の深夜食堂ミカドでのドカ食い〆のカツ丼。

朝3時半に起床して210qのレースを走り、飲んで喰ってラストは零時過ぎ・・(笑)
いつもの沖縄でした。

5