手塚の後に手塚あり

2010/2/28 | 投稿者: 鹿苑院

「サザエさん」など見ると、カツオ君が漫画を読んでいるシーンではほぼ100%の確率で笑いながら読んでいる。あれは教育に悪いのではないかと思う。子供への教育上ではなく、大人への教育上である。

漫画を小説などよりはるか下に見る大人は多い。私の親も大掃除のたびに「いい加減漫画なんか捨てろ」と必ず言う。内容を伝える媒体が文字から絵に変わっただけのことで何故そこまでの厳然たる差別が発生するのか不思議だが、考えてみるとこれには漫画の進歩をめぐる世代の違いが大きいのではあるまいか。

今の漫画ファンは、漫画にも小説に負けないほどシリアスなストーリーと深いメッセージを持った作品があることを知っている。漫画をバカにする世代の大人というのは例えば「トムとジェリー(以下トムジェリ)」のようなストーリーは別にない、軽く笑えるだけのものしか知らない。彼らが漫画を読んでいた子供の時代にはそういうのしかなかったからしょうがないが、それは価値観に違いが出て当然である。こちらがどんなにシリアスな作品を見て感動していても、あちらの感覚では「トムジェリをみて感動するとかバカじゃないの?」と思ってしまうわけだ。現状認識がまるで違う。こちらはライオンが出たと言って騒いでいるのに、向こうは蟻の話だと思っているから「そんなの踏み潰せばいいじゃん」としか思わない。

彼らの世代にも手塚治虫という巨人がいたはずだが、惜しいかなその手塚があまりに偉大視されすぎているため、手塚は確かにシリアスな漫画を描いたけどそれは手塚だけのことで、他の漫画はすべて未だにトムジェリレベルを脱していないと思い込んでしまっている。そこで私が言いたいのがタイトルの言葉だ。「手塚の後に手塚あり」。

力道山はプロレスの元祖としてその功績は不滅だが、技の研究も進み、練習の技術も様変わりした今のプロレスを知っているファンから見れば力道山のプロレスは単調で退屈に見える。今のプロレスの方が華やかで面白いのは当たり前のことで、それはいささかも力道山をけなしたことにはならない。だって今のプロレスがあるのも力道山のおかげなんだから。
同じことが漫画にも言える。今の作品で手塚作品よりもシリアスで内容が深いものはたくさんある。確かに手塚は偉大にしても、手塚以降の作品がすべて手塚に劣る無価値な作品だと決め付けるのはおかしい。手塚や力道山は先駆者だから偉いのであって、彼らの作品が後の世代の誰も越えることができない傑作だと思い込むのは幻想ですよ、とここまで書いて筆を置く。
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