出雲旅行記(三)

2021/12/31 | 投稿者: 鹿苑院

戦国時代好きにとって、出雲の城といえば月山富田城である。尼子氏の繁栄と悲哀を込めたこの城にむろん行ってみたかったが、同行者に山城は勘弁してくれと言われたので松江城が目的地と相成った。
ま、僕も歴史好きのくせに石垣しか残ってない所よりはしっかり観光地として整備された城の方が好きだったりするので松江城になってちょっとホッとした。

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堀を舟で巡ってからの松江城天守。天下普請の城に比べればもちろん小ぶりながら、渋さと威厳を兼ね備えた、男の城という印象を受ける。
築城者の堀尾吉晴は美濃の稲葉山(金華山)で猟師をしていて、イノシシを素手で殴り倒したりしていたところ、織田家の稲葉山城攻めに際して木下藤吉郎の道案内をした縁から取り立てられた。してみるといわば僕にとって地元の人で、よくもこんな遠くまで来たもんだなあと一泊二日の旅しかしていない身ながら妙な仲間意識を持ってしまった。

松江城天守最上階から見た景色の中に白鹿山があったことは僕を興奮させた。
これである。

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え、わかんない? これだよこれ。

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かつてこの山には尼子十旗の筆頭・白鹿城があった。毛利元就の月山富田城攻めに先立って攻められ、両軍ともに坑道を掘っていたものが地中で鉢合わせし、そのまま戦うという珍しい合戦にもなったが、結局は毛利の大軍の前に落城。この城が落ちたことが月山富田城の喉元に白刃を突きつける形となり、尼子氏の致命傷となった。
多くの観光客は気を留めることがないであろう光景でここまで楽しい随想ができるのだから歴史ファンというのは安上がりな種族である。

松江城の後は出雲そばを食って帰路に着いた。まこと良い旅だった。
ありがとう出雲。いつか月山富田城にチャレンジを。
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