頼朝の東部戦線

2017/8/31 | 投稿者: 鹿苑院

源頼朝は政治家としては凄腕だが軍の指揮は下手という評価が定説となっている。だから対平家の戦争は弟・範頼や義経に任せて自分は鎌倉に座っていたと言われがちだが、現実はそうでもない。
その時代の戦争といえば源平合戦ばかりが有名なのでそういう印象になるのだが、東部戦線を忘れてはいけない。

いわゆる源平合戦は鎌倉から見れば西部戦線である。この方面の担当官は範頼や義経だったのは事実で、屋島や壇ノ浦に頼朝は出陣していない。
ただし同じ時期の関東・奥羽でも戦争はあり、佐竹征伐、志田義広迎撃、そして奥州藤原氏征伐には頼朝は親征しておりそのすべてに勝利している。
このことから、頼朝が戦争下手ゆえに軍の指揮は弟たちに任せて、自分はずっと鎌倉で座っていたというのはまったく的を射ていない。

なお、指揮官としてではなく一人の武者としての頼朝はどうだったのかというと、石橋山で群がる敵兵を次々射落とし斬り伏せているし、猪を退治した話も伝わっているのでかなりの腕自慢だったと言えそうである。
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