秀吉公遺骸の行方

2016/9/29 | 投稿者: 鹿苑院

大坂夏の陣の後、家康の命令で秀吉の墓は掘り返され、遺骨はそのあたりに投げ捨てられてしまったと何か(おそらく司馬遼太郎作品)で読んだことがある。こういう行為は日本人の感覚には無いことだが中国の歴史ではまま見られることで、漢籍に造詣が深い家康公ならやりかねんなと思いつつも、いくらなんでもひどすぎてさすがにこれはいただけない事だと思っていた。

ところがここに、明治30年の豊国神社改修工事の際の発掘調査の記録がある。それによると秀吉の遺体は大きな甕の中におさめられ、西を向いてあぐらを組んでいたという。秀吉の遺体はちゃんと現存するのだ。投げ捨てられたなどとんでもない。
徳川幕府が執った処置としては秀吉の神号「豊国大明神」を廃止して仏式に改めさせただけで、それ以上に秀吉の霊を冒涜する行為は行っていない。

つまりこれは歴史ファンにはよくあること。司馬遼太郎の創作を史実だと思い込んでいたのだ。
およそ司馬遼太郎は徳川家康と昭和陸軍に関しては異常なほどに嫌いで、この2者を貶めるためならほとんど虚言癖と言っていいぐらいに創作を多数織り混ぜてくる。
「仏のうそを方便といい、武将のうそを武略といい、作家のうそを創作という」といった所か。
まあもし司馬さんが生きていてこれを指摘されたら、ニヤリと笑って「鹿苑院君は学者ですな」としか言わないだろうけど。
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