ちぐはぐな地図

2016/7/16 | 投稿者: 鹿苑院

高校の頃、古文の教科書の旧国名白地図に友人が落書きをしていた。石田三成と真田幸村が好きな彼は、もし関ヶ原で西軍が勝ったらという仮定で国割りをしていたのだという。
が、そこは愛される与太郎の彼のこと。徳川家康の息子だとも知らず結城秀康に関東の二ヵ国を与えていたのはまあ良いとして(秀康は徳川一門の中でも豊臣贔屓で通っているのでこれは擁護しようと思えばできる)、毛利輝元が安芸を没収されるという異常事態になっていたのはさすがに黙っていられなかった。
西軍総大将の毛利が何故よりによって本国だけを没収されているのかが意味がわからないし、安芸以外の毛利領は保全されているので広大な毛利領の中でドーナッツの穴みたいに真ん中の安芸一国だけが他家の領土である。歴史知識がどうという以前に不自然だと思わないのかよそれ。
「この通りになってたら諸大名の反乱で豊臣はすぐ滅んだな」とオレは言わずにおれなかった。

さて、国割りというものは大変に難しいものだということがわかったところで、実際の歴史にこういうアホな論功行賞はなかったのかというと、実はある。鎌倉幕府倒幕に尽力した赤松円心への処遇である。
円心は勝ち馬に乗って土壇場で宮方に味方したような男ではない。後醍醐帝挙兵の初期から味方し、六波羅攻略の時には京の南から攻め込み、鎌倉軍総大将の名越高家を討ち取る大手柄を立てている。

その円心への恩賞は佐用庄のみである。ばかりか前から持っていた播磨守護職を取り上げて新田義貞にくれるという仕打ちである。
激怒した円心は沙汰書を破り捨てて帰国したのだが、この事件がきっかけでどちらかといえば反足利派だった円心は足利尊氏に急接近し、室町幕府草創の元勲となる。

というわけで、国割りは難しいのだよN君。
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