煎茶の祖・石川丈山

2015/5/31 | 投稿者: 鹿苑院

「茶道」といえば抹茶を使うそれを指すのが普通だが、明治・大正の限られた期間においては煎茶道がその地位にあった。夏目漱石の「草枕」に煎茶道の描写があるのはそのせいである。なぜその時期に煎茶道がそこまで栄えたのかというと、幕末の勤王の志士が抹茶道を大名文化の物とみなし、それに対抗して煎茶道をたしなんだため、薩長が幕府に取って代わると煎茶道も抹茶道に取って代わったわけだ。
つまり、「抹茶道=佐幕、煎茶道=勤王」という図式は確かにある。佐幕派の煎茶愛好家としてはまことにつらいところだ。まあオレがやっているのは煎茶道などというしっかりしたものではなくただの喫茶なので気にする必要はまったく無いといえば無いが。

しかし、煎茶道の歴史をその黎明期まで遡るとどうにか徳川家との接点が出てくる。「煎茶家系譜」の初代に石川丈山の名があるが、彼は譜代の三河武士である。家康に近侍して駿府城の火事の際には水戸頼房を助け出しているが、大坂夏の陣で抜け駆けしたため叱責され、致仕している。
その後一時期、芸州浅野家に仕えたりもしているが晩年は京に退隠し、文人としての活動で名を上げた。なお武者小路千家の官休庵は丈山が浅野家を辞めた時に「もう宮仕えをしない」と意味で名付けたものである。

丈山は漢詩、書道、作庭においても巨人であり、マルチな才能の文人であったと言える。同時代の小堀遠州に似た印象を受ける。煎茶を喫する時、この人物に思いを馳せながら飲んでみるのもいい。
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