2021/7/30 | 投稿者: 鹿苑院

これがZ世代ということなのだろうか、甥がテレビとスマホとタブレットにしか興味を示さない。
あまりに見苦しいので見かねて年齢相応の本を与えてみたが、「重くて持てない」「スマホで目が疲れたから読めない」と言い訳ばかりが達者で、疲れたはずの目でスマホゲームをやり続ける始末。
妹夫婦には悪いが、あまり良い育ち方をしているとは思えない。

うちは裕福ではないので家族で海外旅行に行ったことなど一度もないし、大学受験も国公立限定で大変苦労したが、僕を本を読む子に育ててくれたことは本当に感謝しており、最大の恩のうちの一つだと思っている。
世界で一番広い場所は本の中だ。海外旅行に行くのはたいへんな金とまとまった休みがいるが、本を開くだけでどんな国のどんな時代にでも行け、どんな人にも会える。読書は最大の娯楽であり最大の勉強でもある。玄奘三蔵の言葉を借りるまでもなく読書は人生の妙薬である。

父は絶対に僕にテレビゲームを買い与えなかった。これについては必ずしも絶対善だったとは言い切れないものがあるが、上述の甥の姿を見ていると、僕は将来生まれてくるかもしれない自分の子供に、必要最低限以上にはスマホやタブレットを触らせたいとは思わない。
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2021/7/25 | 投稿者: 鹿苑院

法然上人24歳の頃、すべての人が救われる教えを求めて奈良に修行に向かう途中、高橋茂右衛門という人の家に一夜の宿を取った。
「その尊い教えが見付かったらぜひ教えてください」という茂右衛門夫婦との約束を覚えていた上人は、念仏の教えについに出逢うと真っ先に茂右衛門方を訪れ、最初の説法をした。この故地が現在の粟生野光明寺である。
すなわち光明寺はいわば法然上人初転法輪の地である。上人をもし釈尊に擬すなら、この地は鹿野苑といえる。私、鹿苑院にははずせない聖地と言えよう。

光明寺は浄土宗西山派の総本山である。京都を中心に広まっていたことが仇となり応仁の乱で甚大な被害を受けたうえ、徳川家康が知恩院を総本山とする鎮西派を保護したために西山派はずいぶん衰えた。
家康ファンの僕には徳川家の菩提宗としての鎮西派のブランドは目がくらむほど眩しいものだが、どうにも教えを精細に比較検討すると西山派の方が頷けることが多い。西山派は浄土真宗に双子のように似た教義なので、真宗育ちの僕には受け入れやすいのだろう。
なお家康の従兄弟が知多の西山派・常楽寺の住職だったりするので、必ずしも徳川氏が西山派に対して暴虐だったわけではない。

光明寺は法然上人の遺体を荼毘に付し埋葬した地でもある。知恩院の御廟にある遺骨もここから分骨されたものである。
そうしてみると、鎮西派をライバル視するのではなく、いわば浄土宗の嫡流たる西山派からの分家筋と思ってやれば穏やかな気持ちでいられる。
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2021/7/5 | 投稿者: 鹿苑院

一遍上人の時宗についてはおおまかに二通りの見方があるようだ。
柳宗悦のように「親鸞聖人をも超えた他力の境地。あれこそ浄土教の最終発展形」という高評価と、「踊り念仏とか奇妙なことをやってる俗っぽい宗派」という見方である。僕は後者の見方をしていた。というよりあまり興味がなく気に留めることがほぼ無かった。

プロレスラーはロックアップした瞬間に相手の力量がだいたいわかるという。去年以来にわかに興味を持ち、本格的に一遍上人とロックアップしてみて、これはとんでもなく優れた人物だとすぐにわかった。今までの無関心が掌を返すように柳宗悦と同じ見解に僕もなった。

浄土宗、浄土宗西山派、浄土真宗、時宗はいずれも法然上人を祖師と仰ぐ。いかに法然上人の教えを正しく継承しているかがこれら宗派の争点だと言っていいが、この1年あまり仔細に研究してきたところ、時宗が最も法然イズムに近いと思える。
なおここで言う「浄土宗」とは宗教法人名である。一般的には「法然上人は浄土宗の開祖」と認識されておりもちろんそれで正しいが、宗教法人浄土宗は正確には浄土宗鎮西派である。鎮西派の派祖である聖光房弁長上人の著作を読むと正直かなり法然上人の教えからの逸脱を感じる。

今では時宗は小規模の教団になってしまったが、中世ではものすごいムーブメントだったらしい。
だいたい「この宗派はこの階級の人に信者が多い」という図式があるが(例:禅宗なら武士、浄土真宗なら農民、日蓮宗なら商人)、時宗に関して言えば上は公家・大名から下は被差別層に至るまで広い範囲に信仰されていたようだ。
新田義貞の墓は時宗の寺にあるし、足利将軍家から死者が出ると葬儀は時宗でやっていた。徳川家の先祖は時宗の遊行僧だったし、有名な東京大手町の平将門公の首塚も時宗である。意外と時宗は日本の歴史に大きな足跡を残しているのだ。
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