2020/8/29 | 投稿者: 鹿苑院

近頃はどこからもお呼びが掛からないので、一昨日の休日は一日中浄土教の勉強をしていた。偉くもないし立派でもない。ただ楽しくてやっているだけだから。

さて、鎮西派の二祖・聖光房弁長上人の思想を調べていたら、こんな言葉が出てきた。

「他力とは全く他力を馮み 一分自力無しといふこと、道理しかるべからず」

ざらり。ざらり。
う〜む、受け入れにくい論である。

西山派および真宗では他力100%の教えだが、鎮西派ではちょっとは自力修行もしろと言っているわけだ。その自力修行とは具体的に何かと問われたら、とにかくたくさん念仏を回数勝負で唱えまくれという「多念」である。
法然上人は一日に6万回念仏を唱えていたという。鎮西派ではそれにならって何万回も念仏するのを良しとする。
さて、ここはどうだろう。
1回1秒としても6万回なら16時間半を超える。それだけで一日が終わってしまうではないか。それを毎日? 無理無理。

そもそも旧来の南都六宗・真言・天台に代わって念仏宗が広まったのは誰にでも実践できる易しい教えだからではなかったのか。
暇を持て余した金持ちならともかく(それでもしんどいが)、生業に忙しい庶民が一日のうち16時間半以上も念仏だけし続けるのはとても易しい教えとは言えない。普通に難行である。
である以上、少なくとも多念を教えのメインとして法然上人が人々に勧めたわけではおそらくあるまい。
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2020/8/29 | 投稿者: 鹿苑院

28日に辞任の発表があるのではないかとの下馬評だったが的中した。
これほどの熱烈な支持と熱烈なブーイングを同時に集めた総理大臣は僕の知る限りかつていなかった。安倍総理を好きか嫌いか、日本国民は見事に二つに分かれた。その結果、子供の頃からテレビで親しんでいた有名人がこんなヤバいやつだったのかよ…と炙り出される現象もよくあった。関○宏とか。

次に総理大臣になる人はまあ自民党であることは間違いないだろうが、安倍総理の路線を踏襲してくれるだろうか。それ以前の歴代総理大臣が中朝韓に対して事なかれ主義の弱腰外交しかしていなかったことを思うと、総理大臣が変わるということでこれほど不安になったのは初めてである。親中派の石破などではまったく期待ができない。

安倍総理、本当にお疲れ様でした。失礼な態度をとる国民も多かったけど、僕はあなたをずっと支持してました。
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2020/8/27 | 投稿者: 鹿苑院

韓国の政治家が透け透けメッシュのマスクを着けていたので国内で論争になっているというニュースを見て、あぁやっぱりこういう事になったかと苦笑してしまった。予言するが日本でも遠からず同じ現象が起こることだろう。

『手段の目的化』──これはもう人類の習性と言っていい。
マスクを着用することは本来はコロナウイルス感染症の拡大を防止するのが目的だったはずだが、いつの間にかマスクを着用すること自体が目的になってしまっている。
人から「あいつマスク着けてないぞ」という目で見られさえしなければそれで良くなって、感染拡大防止に意味があるかどうかはどうでもよくなる。

馬鹿だと笑うのは簡単だが、手段の目的化は誰でも陥る考え方の罠である。
世界史を眺めれば宗教戦争などその最たるものだろう。本来は宗教とはみんなが幸せに平和に暮らすためにあるものだろうけど、その宗教の違いで殺し合うことをもう人類は何千年もやっている。
中東あたりで殺し合っている方々に、件の韓国政治家の透け透けメッシュマスクの写真を見せて、「あなたたちがやっていることはこれですよ」と教えてやったらきっと激怒することだろう。
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2020/8/14 | 投稿者: 鹿苑院

……とアインシュタインは言った。彼は仏教を「現代科学と共存しうる唯一の宗教」と言っていたことも有名である。

西山浄土宗に心惹かれていた時、その宗派のお坊さんに質問する機会を得たので教義を聞いてみたところ、阿弥陀仏の本願とその働きに気付いた後はその人の行動はすべて念仏となり往生の因となるという。
「ではふざけているわけではなく真面目な質問のつもりなので怒らずに答えてほしいのですが」と前置きして、ウンコをしていたり風俗で遊んでいてもそれを念仏と言えるのかと質問してみた。

返事はこうだった。
「私たちは凡夫なので何が本当に立派で何が本当に低俗かは判断ができない。
ウンコをする時に、生理現象としてきちんと体が動くのは阿弥陀仏のおかげと思えばそれも念仏と言えるし、風俗で遊んでいる時も自分は阿弥陀仏に救われた悪人であることを自覚してやっているならば念仏といえるかもしれない」


それを聞いた僕の感想としては、いくらなんでも拡大解釈な気がして西山派から鎮西派に舵を切ることになったのだが、「何が本当に立派で何が本当に低俗かは判断ができない」という考えは浄土宗のみならずすべての仏教宗派に通用する考え方だろう。

しょせん人間の尺度で言う高尚や低俗など仏の目から見れば小さな差異。
それにその尺度は時流によっても変わる。
「天皇陛下のために鬼畜米英を討つ!」という思想は昭和20年8月15日までは多数派の人にとって高邁な思想だと思われていたが、現代でそんなことを言っている人とは距離を置こうと考えるのが平均的な反応だろう。
フォークソングを歌いながら共産主義革命を目指していた学生運動も、当人たちは高邁な理想のために闘っていたつもりだっただろうし社会も一定数それを支持する空気があったが、ソ連が崩壊し中国・北朝鮮の実態が明るみになった今は「恥ずかしいことをしていたやつら」でしかない。
高尚・高邁と低俗の価値基準などかくも簡単にコロリと変わるものだ。これを仏教では諸行無常という。

うちの親はテレビ番組や本などに対して「そんなくだらんもの、そんなつまらんもの、そんなたわけたもの」とよく言う。
それにムッとするたびに僕は上記のような考えが一瞬で脳内を巡るのだが、長々とした説法をするわけにもいかないので結局は「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば...」となる。
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2020/8/6 | 投稿者: 鹿苑院

僕と仏教との馴れ初めは祖父の死なのだが、実はそれ以前にも接触はあった。西遊記である。
もちろん子供のことだから如意棒と仙術を駆使して闘う孫悟空がカッコイイというぐらいの動機だったが、僕は夢中だった。小学生時代、読めない漢字に鉛筆でルビを書き込みながら読んだポプラ社文庫の吉本直志郎版西遊記は今でも宝物だ。

玄奘三蔵は旅の途中で苦難に直面すると般若心経を唱えて災厄を除けていた。これは西遊記のみならず史実の玄奘も同じである。
西遊記においては猪八戒を仲間に加えた直後、彼の紹介で烏巣禅師から般若心経を教わることになっているので何の問題もないが、史実の玄奘の場合はちょっと疑問が発生する。
今広く知られている般若心経はインドから持ち帰った経典を玄奘が唐で翻訳してできたものだからだ。旅の往路であの般若心経を読むことは時系列的に不可能である。
では玄奘が旅の苦難を般若心経で除けていたのが嘘かというとそうでもない。玄奘以前にも般若心経は漢語訳されていたからで、おそらく玄奘はそれを唱えていたのだろう。鳩摩羅什など、サンスクリット経典を漢訳した人は多くいて、むしろ玄奘はその翻訳家たちの中では後発の方である。

ま、ともかく般若心経といえば玄奘三蔵というくらいに関わりが強いが、その般若心経とは僕は今までほぼ無縁だった。浄土真宗では般若心経を取り扱わないからだ。西遊記で仏教に親しんだのがすべての始まりなのに、玄奘ゆかりの般若心経と縁を持てないのはどこか寂しいと思っていた。
人生の挫折を機に浄土宗に片足つっこむようになって、浄土宗の経本も手に入れてみると般若心経が載っていた。玄奘、いや、お師匠様との再会という気持ちである。
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2020/8/2 | 投稿者: 鹿苑院

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個人的にはマーク・ロッカという方がしっくりくるのだが、ほぼすべての場でマーク・ロコと書かれているのでそれに従う。すなわち初代ブラックタイガー。ダイナマイト・キッド、小林邦昭と並ぶ初代タイガーマスクの3大ライバルの一人である。

「プロレススーパースター列伝」では嫌な奴に描かれていた。負傷欠場したタイガーマスクを漫画の本の中でだけ強い“ペーパー・タイガー”と罵倒し、最後にWWF Jr.のタイトルマッチで敗れる役回りだった。
初代タイガーマスク引退後、後を継いだザ・コブラとの試合後にコブラと爽やかに握手を交わす姿を見て、あれあれ、列伝の嫌な奴とは全然違うじゃんと思った記憶がある。もちろんリアルタイムで見たわけではないが。

この写真の柔和な表情を見ると、やはりそんな嫌な奴には見えない。
初代ブラックタイガーこと“ローラーボール”マーク・ロコ。あなたの強さは本物だった。

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