2019/12/5 | 投稿者: 鹿苑院

現存する岐阜城天守閣は昭和の建築だが、満更根拠のない形でもない。
関ヶ原後に岐阜城は廃城となったが、その天守は加納城に移築されており、その加納城御三階櫓として絵図面が残っているからだ。これを参考に現在の岐阜城天守は復元された。

ただ、ではこれが信長時代の岐阜城天守の形を伝えているかと言われると残念ながらそうではなさそうだ。金華山頂の岐阜城天守は池田輝政が城主の時に大々的に改築されているから、現存天守はこの池田天守閣の復元ということになる。

一説によると信長在城の頃は山頂には平屋程度の建物しかなかったともいう。ただし麓の居館には天守があった事は確かで、こちらは南蛮様式を取り入れた四層の豪華な天守だったという。
信長時代にはむしろ山頂より山麓の方が充実していたのが岐阜城なのだ。
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