2019/8/11 | 投稿者: 鹿苑院

……というのが堀江由衣さんの食べ方だという。以前にラジオで力説していたが、この醤油はポン酢や酢醤油であってはならず、あくまでもシンプルな醤油でなければならぬ。

結婚してみてカルチャーショックだったことの一つは、無類の生姜好きの妻が「チューブの生姜なんて買ったことない」と言い出したことである。実家が農家だから庭で穫れるというのがその理由。おかげで我が家の冷蔵庫には常時まるのままの生姜(これはスーパーで買った物だが)が入っていて、必要な時だけすりおろしたり刻んだりして使っている。
ハウスさんやS&Bさんには悪いが、生姜だけはどうしても本物をすりおろした物とチューブではその鮮烈さの違いが如何ともしがたい。

余談だが、在位50年&子供55人の元気な記録を持つ徳川家斉の好物は生姜であったという。生姜農家には生姜さえ納めれば他の租税は免除していたほどだ。
次代の家慶は父とは不仲だったが(家斉が日蓮宗、家慶が浄土宗という犬猿の仲と言っていい宗派同士を信仰していたため)、生姜好きだけは気が合っていた。天保の改革で将軍家も経費節約と相成り、御膳に登る生姜がなくなったことに家慶は憤慨したという。

……。

さて、餃子は昨日の残りが冷蔵庫にあった。おろし金で生姜をすりおろし、醤油で食べてみたところ、これは美味いと膝を打った。本当に美味いから皆様も試してみてほしい。
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2019/8/11 | 投稿者: 鹿苑院

慰安婦少女像、昭和天皇の写真を焼き踏みつける、特攻隊を「馬鹿な日本人」……。
当然のごとく抗議が殺到して展示中止になったことは愛知県および東海地方のみならず全国ニュースにもなっている。

各マスコミの態度がこの件ほど露骨なのも珍しい。
テレビ朝日系の「羽鳥慎一モーニングショー」では左派の論客だけを呼んで全力で擁護していた。右派の論者も呼んで討論させなければ公平ではないが、左派しか呼ばずに大同小異の意見ばかりを銘々が唱えているのを放送する、結論ありきの汚いやり方だ。

朝日新聞の社説はこうである。以下に引用する。


人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく。その営みを根底で支える「表現の自由」が大きく傷つけられた。深刻な事態である。国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれた。

過去に公的施設などで展示が許されなかった作品を集め、表現行為について考えを深めようという展示だった。芸術祭として個々の作品への賛意を示すものではなかったが、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像に抗議が殺到した。放火の予告まであったという。もはや犯罪だ。警察は問題の重大さを認識し、捜査を尽くさねばならない。

気に入らない言論や作品に対し、表現者にとどまらず周囲にまで攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年相次ぐ。今回はさらに、政治家による露骨な介入が加わった。芸術祭実行委の会長代行を務める河村たかし名古屋市長が、「日本国民の心を踏みにじる」などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫ったのだ。

市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。

明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。

主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。一連の事態は、社会がまさに「不自由」で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい。



引用終わり。

この二枚舌はどうであろう。日本人が韓国を批判することに対してはヘイトスピーチを法で規制しろとあれほど書いていたくせにである。

だいたい、「表現の不自由展」と名乗り、過去に展示が許可されなかった物を集めて、言論と表現の自由が脅かされているのではないかという危機意識を訴えるというのなら、あらゆる理由で展示が許可されなかった物を集めるべきである。それには猥褻、グロ、残酷などいろいろあるはずだが、なぜ反日的過ぎて展示できなかった物ばかり扱うのか。それでは反日展だと思われて当然だろう。


なお、産経新聞はこの芸術監督・津田大介氏をこう評している。


津田氏は「ジャーナリスト」という肩書きを使っているが、やめていただきたい。ジャーナリストは、世の中の出来事や問題点を報道・論評する職業で、自ら騒ぎを起こす商売ではない。これからは「左系運動家」と名乗られるのが、よろしかろう。


まったく同感である。
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2019/8/4 | 投稿者: 鹿苑院

僕にしては遅いペースで読み終えた。やはり新生活はいろいろあって、のんびりまとまった時間を読書に使うことができないのがつらいところ。あと僕はテレビがついている部屋だとか、人に話しかけられながら読書することができない体質なのも災いしている(父はそれができる)。

前編(斎藤道三編)はワクワクの連続でとても面白かった。後編(織田信長編と言いつつ実質は明智光秀編)になるとやや密度が下がったような印象を受けた。
桶狭間もあっさりとしていたし、長篠や山崎天王山などはほぼナレーションのみである。前編で道三が木下闇と名乗る忍者と決闘するシーン(まったく歴史が動いてない)とか要らんから最後の締めくくりである山崎の戦いぐらいはもっと細やかに書けなかったのだろうか。
なんか前半を張り切って書き過ぎたおかげで後半はページ数に余裕がなくなって駆け足にならざるを得なかったんだろうな、という事情が垣間見えてしまう。
……と文句を言いつつもさすがは司馬遼太郎で、それでも凡百の作品よりはこの後編もじゅうぶん面白かったとフォローしておく。

ところで読んでいて、昔週刊少年マガジンで連載されていた「TENKA FUBU 信長」に似ている点がいくつもあることに気付いた。
信長と光秀を道三の相弟子として捉えていること、「無能な君主は存在自体が罪である」という主人公の思想など、物語の骨格部分がそっくりである。むろん偶然であるはずはなく、「TENKA FUBU 信長」は「国盗り物語」をトレースしているのだろう。
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