2018/12/26 | 投稿者: 鹿苑院

もちろん年は違うけれども、前田利家と徳川家康の両雄の誕生日が1日しか違わないというのは面白い縁である。ただ、当時の日本には誕生日を祝う習慣はなかったので当人同士がそれをどの程度気に留めていたかは定かでない。
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2018/12/25 | 投稿者: 鹿苑院

イエス・キリストの誕生日などという異教の行事はどうでもいいが、25日の前田利家の誕生日はそれなりに留意したい。

「一夢庵風流記」およびその漫画版「花の慶次」ではさんざんな描かれようだったが、それ以外では前田利家を悪く言う人はあまりいないような気がする。冷静に考えてみれば越前一向一揆を大虐殺して「越前府中は一向門徒の死体で踏み場もありませんわ、ガハハ!」という自慢の手紙を信長に送っているぐらいなのでそれなりに恨みを買っていてもおかしくないはずだが、それでも利家を嫌う人は見たことが無い。当の本願寺門徒である僕から見ても全然憎い気持ちはせず、むしろ好漢としか思わない。

その生涯の最終末期に家康と豊臣家を二つに割る対立をしてのけるが、自らの死期が避けられないことを悟ると家康と和解し、前田家の行く末安泰であるよう家康に頼んで世を去った。まだ寿命があれば秀頼擁護のために戦えたのに…とさぞ無念な和解であったろう。
前田利家と石田三成では役者が違いすぎる。もし関ヶ原の西軍総帥が前田利家であったら…と思うと、これは勝敗の行方がまったく読めない。
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2018/12/16 | 投稿者: 鹿苑院

昔はりんごの代表的な品種といえば紅玉だったそうだが、ふじ等の甘い品種が現れると、すっぱい紅玉は生産量を大きく減らした。アップルパイなどの加工用には最適だというからそういう形で食べたことはもしかしたらあるかもしれないが、加工されていないそのままの紅玉は僕も今まで食べたことがなく、好奇心でいつか食べてみたいとずっと思っていた。

それがイオンに売っていた。2玉で約400円と高かったのだが長年の好奇心には替えられない。
食べた感想は「言うほどすっぱいか?」である。そりゃ比較すればふじよりすっぱいが、これはこれで美味しい。ちゃんと甘みもあるし、甘酸っぱいという言葉が適切である。とても美味しいりんごだった。
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2018/12/11 | 投稿者: 鹿苑院

お笑いブーム真っ盛りの頃(つまり僕がお笑い至上主義文化に心底うんざりしていた頃)にM-1というものが始まってから、なんとなく「それは違うんじゃないか」と言いたくなるモヤモヤしたものがずっとあった。
ただその頃には「それは違うんじゃないか」と言いたいものだらけだったのでM-1にまで矛先が向かなかった。今ようやく自分の言いたいことを言葉にできそうなので書く。

要するにあれは「お笑い道」なのだ。

お笑いは見てそのひととき面白ければ本来それで良いのだが、そこに勝ち負けの論理を持ち込むのがそもそも御大層である。
それで先輩大御所芸人から一般視聴者まで、まるでスポーツ選手を論評するような真剣な眼差しであーだこーだと批評する。みんなどうしてもっと純粋にお笑いを笑えなくなっちゃったの!?
果ては「優勝すれば一夜で人生が変わる!」と言い立ててネタ作りから楽屋までのドキュメンタリー番組までできる始末。そんなものを見たがる奴がいるのも不思議だし、芸人もプロなら裏の苦労など視聴者に見せるな。

結局なんでも「◯◯道」にしたがる我が民族の悪い癖が露骨に出ているのがM-1であり、その歪さがM-1を見る気にならない理由だった。

ちなみに昨日、たまたま女性お笑い芸人のトーナメントというM-1の類似品みたいな番組がやっていたので家族の付き合いで少しだけ見た。
紺野ぶるまという芸人だけは「なかなかイイ女じゃねえかぐへへ〜」という見方で楽しませてもらったが、勝ち負けを云々するよりはよほど健全なお笑い芸人の見方であると自負している。
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2018/12/3 | 投稿者: 鹿苑院

幕末の志士の集合写真として有名なフルベッキ写真は佐賀藩の藩校「致遠館」の学生たちを写したもので、今どきこんなものを持ち出して西郷隆盛が写っていると言っても笑われるだけである。それに比べて、明治天皇の大阪造幣局巡行時の写真は多少の信憑性がありそうだ。

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左端の人物が西郷だという。小さくて見えづらいのでアップにする。

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手前に洋犬が寝そべっていることを根拠にする論がある。当時はまだ洋犬は珍しく、犬好きの西郷が飼い主という可能性があるという。とはいえ他に一匹もいないわけではないだろうし、ここに写っているような人たちならある程度の身分がある人だから西郷以外にも洋犬を飼えた人はいるだろう。
それよりも強い根拠は問題の人物が菊の紋の旗を持っていることである。当時の新聞に、西郷が錦旗を手に天皇を御先導したとの記述があるからだ。

否定的な意見としては、鑑定してみると178cmあったという西郷の身長より低いこと、他のヒラの兵たちと同じ軍服を着ていること…etc。
身長はともかくとして、軍服に関しては西郷は綺羅で着飾る人ではないからヒラ兵と同じ服を敢えて着たかもしれない。さらには他の兵が持っていないサーベルを彼だけ持っている。

真偽はいずれとも言い難いが、これが西郷だとするとなんとなく我々のイメージの中にある西郷像とあまり食い違うことはなく、割とすんなり受け入れられるような気はする。
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