2018/8/25 | 投稿者: 鹿苑院

米内光政内閣は戦前最後の対米協調派内閣である。もしこの内閣がもっと長続きしていたらアメリカとの戦争は避けられたかもしれない。
この内閣を崩壊に追い込んだのは陸軍大臣畑俊六の辞任である。当時は軍部大臣現役武官制により陸海軍省の大臣は現役の軍人でなければならないとされており、畑が辞任した後で後任の大臣を出すことを陸軍が拒否すれば、大臣の欠員により内閣は総辞職せねばならなかった。

敗戦後、畑はこの時の罪を問われてA級戦犯として東京裁判の被告人席に座らされた。弁護側証人を引き受けたのは誰あろう、米内光政その人である。
米内は話が畑にとって不利な話題になると、知らぬ分からぬ覚えてないを繰り返し、あまりのとぼけた態度にウェッブ裁判長に「こんなバカな総理大臣を初めて見た!」と罵倒されたほど。
米内は畑の本心は倒閣になく、対米主戦派の陸軍からの突き上げに抗しきれなかったに過ぎないことをわかっていたのだ。なおキーナン首席検事はこの米内の魂胆がわかり、いたく感動したという。
ともかくも米内のとぼけた証言のおかげで畑は絞首刑を免れた。

畑はこの時の感動をこう語っている。

「当時、後難をおそれ、弁護側の証人に立つことを回避するのが一般の雰囲気であったのに、米内大将は敢然として私の弁護のために法廷に立たれ、裁判長の追及と非難を物ともせず、徹頭徹尾、私が米内内閣の倒閣の張本人でなかったことを弁護されたことは、私の感銘措く能わざるところであって、その高邁にして同僚を擁護する武将の襟度は、真に軍人の鑑とすべくこの一事は米内大将の高潔な人格を表象して余りあると信じる」


後年、米内の死後、郷里の盛岡に銅像が建立されることになった。
除幕式の日の早朝、人目を避けるようにしながら黙々と草むしりをする81歳の畑俊六の姿がそこにはあった。
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