2017/9/17 | 投稿者: 鹿苑院

「大師は弘法にとられ、太閤は秀吉にとらる」ということわざがある。
大師号を賜った高僧は何人もいるが弘法大師が有名でありすぎるため、一般に大師といえば弘法大師しかイメージしない(我々真宗門徒ですら親鸞聖人を見真大師なんて普通呼ばない)。
同じように太閤とは関白を辞任した人のことだからこれまた史上に何人もいるが、ふつう秀吉のことしか思い浮かばない。

さて、「金吾」とは中納言の唐名だから中納言であれば誰をそう呼んでもいいはずなのだが、もっぱら小早川秀秋のことを指す。同じ時代に毛利輝元、上杉景勝、織田秀信ら他にも中納言はいたのだが彼らを金吾とは呼ばない。秀秋は秀吉の甥だから、この一族だけで称号の独占を二人も出していることになる。

さらにカオスなことに、「金吾中納言」と呼ぶことも多い。金吾が中納言の意味だから「中納言中納言」と言っていることになる。
こういう、外国語に日本語をくっつけてみたら意味が重複していたというケースは今でもナイル川やガンジス川、サハラ砂漠、襟裳岬、骨付きカルビなどいろいろあるから、我々の祖先は昔からこういう用法を使っていたことがわかる。
0




AutoPage最新お知らせ