2017/1/27 | 投稿者: 鹿苑院

「東海地方のお嬢さんは縁談をまとめるのが本当に大変」──東京にも支部を持つ結婚相談所のスタッフのおばさんがそう言っていた。その理由は、「保守的で親元を離れたがらないから」だそうだ。
その時はふーん、なるほどという程度に聞いていたが、今はその分析の的確さに舌を巻く思いがする。

婚活とは関係無いが、昔の職場にいた事務の女の子も「結婚しても絶対○○市から出ない。○○市に住んでくれる人としか結婚しない」と言い切っていた。自分の生まれ育った土地以外はアネクメネだと思い込んでいる女性は少なくともここ東海地方では彼女に限った話ではない。

オレがお見合いをして、まあ本格的に付き合ったといえるであろう最初の女性もそういうタイプだった。オレはその彼女を家に連れてきて両親に会わせるところまでいったのだが、その少し後にフラれた。
両親は「うちの家を見て『なんだ、こんなところか』と思われたんだろう」と分析していたが、それは違うと断言できる。別に我が家はとりたてて狭くもないしボロくもない。むしろおそらく(外からしか見たことがないが)彼女の家より広いはずである。
では本当の理由は何かというと、きっと彼女は結婚が現実味を帯びてきたら親元から離れることが急に怖くなったのだ。毎晩2時までゲームをやり、仕事は半日だけのパート(それすら最近始めたばかりでずっと家事手伝いだったらしい)で許されているぬるま湯モラトリアム生活をやめたくなかったのだ。
無論それは30歳近い成人の考えとしてはあるべきでないことだけど、「ここ東海地方はそういう保守的な人が多いから」と言われればなんとなく納得してしまうものがあるのは同じ東海地方民ないしはビジネスか何かで東海地方民と関わったことがある人ならわからないこともない感覚と言っていいのではないか。

つい最近も「生活感が合わないから」という理由で断ってきた女性がいたが、何をかいわんやである。自分のそれまでのライフスタイルを捨ててパートナーと新しいそれを作るのが結婚というものではないのか。婚活をしておいて生活感が合わないなどとほざくのは、サッカー部に入っておいてボールを足で蹴るなんてお行儀が悪い!とほざくのと同じくらいに場違いな言動である。どうしても生活感が合う相手を探すとしたら、それは同じ家で生まれ育った兄弟しかいないだろうが、彼女は自分の弟と結婚するつもりなのだろうか。
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2017/1/22 | 投稿者: 鹿苑院

酒にもギャンブルにも興味が無く、いわゆる飲む買う打つの中で興味があるのは女だけ。「これだけ欲が女にだけ集中している奴も珍しい」というお褒めの言葉を頂いたこともある。
そのさしものオレが近頃、元気が無い。疲れやストレスが大きな原因らしく、疲れなら日々の仕事で人後に落ちないぐらい疲れているし、婚活鬱寸前でストレスも絶えない。どちらも思いっ切り心当たりがあるがすぐには取り除くことができない要因だから、後は栄養面を改善するしかない。すなわち、亜鉛である。

亜鉛の代名詞であるカキの旬は冬というイメージが強いが、それはマガキ(真牡蠣)の話。マガキのシーズンが終わると入れ替わるように夏が旬のイワガキ(岩牡蠣)が出てくる。つまり、マガキでないとダメだ、イワガキでなければ嫌だというようなこだわりがなければ広義のカキならほぼ1年中食べることができる。
カキというのは不思議な食材で、魚介類を生で食べない欧米人がこれだけは食べる。逆に魚介類ならなんでも生で食べたがる日本人が生ガキを食べるようになったのは明治以降に西洋の食文化が入ってきてからのこと。生で食べる文化が西洋から日本に輸入された珍しい例である。なぜ人類はカキに対してだけこうまったく逆の対応を示したのかどうにもよくわからない。

ちなみに伝統的なフランスのカキはヨーロッパヒラガキという種類だが、1970年代に寄生虫で大打撃を受けたために日本からマガキを輸入して養殖を始めた。このため現在、フランスのカキの大半は日本のカキの子孫である。
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2017/1/15 | 投稿者: 鹿苑院

宝石にはあまり興味が無い。どのぐらい無いかというと、ダイヤモンドとピカピカの赤銅なら赤銅の方が美しいと思うぐらいだ。パワーストーン効果も半信半疑というより二信八疑といったところ。

ただ例外はあって、ラピスラズリという石はちょっと欲しいと思っていた。片仮名めいた名前に馴染みが無い人には瑠璃といえば通じるだろう。
薬師如来はフルネームを薬師瑠璃光如来というので直接的に瑠璃と繋がるのだが、瑠璃は極楽浄土七宝の一つでもあるので阿弥陀如来とも縁がある。

ま、そうはいうもののあまり宗教的な意味もパワーストーン効果も考えず、単純に宝石を愛でるだけでいいじゃないかという気持ちで買った。深い青が美しく、これが地中に埋まっていると思うと不思議な気がする(むろん、鮮やかな青になるためには原石を磨かなければならないが)。宝石好きの気持ちが多少わかる気がした。
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2017/1/14 | 投稿者: 鹿苑院

「満洲」とは本来、民族の名前であって地名ではない。それまでは女真族といっていたが、これには「属民」という意味があるため清朝2代皇帝ホンタイジが改名させた。
「満洲(マンジュ)」は彼らが盛んに信仰していたマンジュシュリー(文殊)菩薩に由来するもので、「洲」という字があたかも特定の地名を想像させがちだがただの音写に過ぎない。

しかし表意文字とは面白いもので、漢人も日本人もやはり「洲」という字からの思い込みをやめられず、彼らの故地をいつしか「満洲」と呼ぶようになってしまった。
「満洲族がいる地だから満洲」になったのだが、「満洲にいる民族だから満洲族」という誤解をしやすい。

なお、「満洲」は「満州」と書かれることもあるが、彼ら自身のこだわりとして水徳の王朝であることを意識して「満」「洲」「清」とすべてさんずいで統一していることに意味があるので、それを尊重したい。
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2017/1/9 | 投稿者: 鹿苑院

「ぬるい!淹れ直せ!」と湯呑を投げつけるというのはオレは漫画でしか見たことがない。ステレオタイプ過ぎてもはや陳腐になっているから今はドラマなどでもこんなシーンはほとんど出てこないのだが、かつての男尊女卑時代にはこういう人もいたのだろうか。まあいたと仮定して話を進めるが、どうにも妙な話である。日本茶はぬるい方が美味いのに。

いわゆるフツーの緑茶(煎茶)はぬるいお湯で淹れた時に旨みを発揮するようにできている。熱すぎると苦くなったり渋くなったりするから、ちゃんと心得ている人は沸騰したお湯がぬるくなるのを待ってから急須に注ぐ。だから、「ぬるい!淹れ直せ!」と言いたくなるようなお茶はおそらくちゃんと淹れられたお茶に違いない。

「ぬるい!淹れ直せ!」が意味するものとは何なのだろう? もしかしたら知識の無さゆえにちゃんとしたものを拒絶する愚かさ(前稿のそば屋の客と同じ)を揶揄するための演出的表現なのかもしれないが考え過ぎだろう。ドラマにこのシーンが出てくるとしたら脚本家も日本茶の正しい淹れ方を知らない可能性の方が高そうだ。
あと大穴の可能性としては、湯呑の中身が煎茶ではなくほうじ茶や番茶だったら確かに熱湯の方が美味いのでぬるいと文句を言うのは理にかなっている。

こういう事情で、オレは来客に(オレのための来客などほとんど無いが)自分の買い集めた茶を淹れて出すことはあまりしない。せっかくちゃんと淹れたのにぬるさゆえに良く思ってもらえなかったら癪に触るからで、コーヒーでも出す方がよほどお互いの精神のために良い。ぬるくて旨い茶はあくまで孤高の楽しみである。
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2017/1/6 | 投稿者: 鹿苑院

昨日のケンミンショーは見応えがあった。うどん王国・香川県のそば屋さんを特集していたが、やはりマイノリティの苦労が大きいのだという。
そのお店は国産そば粉を使った十割そばを出しているのだが、一口食べて「いやあ、これはそばではないわ」と言う客が多かったそうだ。香川ではそばといえばセルフうどんのお店におまけのように置いてあるそば粉の割合が低い安っぽいものしか知られておらず、そのため本格的な十割そばをそばと認識できないからこういう反応になるらしい。「金に例えればうちのが純金なのに、みんなはメッキをありがたがって本物が偽物と思われてしまう悔しさがあった」と店主は語る。

再現VTRの「いやあ、これはそばではないわ」がさんざん聞いた四国訛りだったためか、見ていて自分が言われたようにムッとしてしまった。
こちらはちゃんと裏付けのある正しいことを言っているのに、周囲が無知ばかりのために数の論理で間違いが正しいことにされ、あべこべにこちらが無知・ウソつき・変人にされてしまう経験はオレも十指に余るほどしてきた。そば屋の店主の気持ち、胸に迫るほどよくわかる。

香川のうどんが美味しいことは事実だ。でも、本物のそばを出す店が香川で頑張っていることはもっと知られていい。
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2017/1/3 | 投稿者: 鹿苑院

もみじに続いて小さな梅の木を買ってしまった。「野梅」と書いてある。原種に近い梅という意味で、大輪だったり八重咲だったりの派手さはないがシンプルで清楚な花が咲く。犬に例えればチワワやマルチーズではなくほとんどオオカミに近いようなのというわけか。好みとしてはそちらの方が良い。
梅といえば真っ先に連想するのは大菅公なのだが、ひとまずそのイメージは奥底にしまっておきたい。その名はあまりに偉大過ぎて、小さな梅の木に頭が上がらなくなってしまう。もう少し気楽に育てたいのだ。とはいえ桜に勝るとも劣らない思い入れが元々梅にはある。
ちなみに梅の実が有名なのは和歌山だが、花の場合は水戸らしい。御三家の領地のうち二つが梅を名物にしているのは面白い。久能山東照宮にも梅の木が多く、家康公が好んだこともちゃんと説明板に書かれていた。

花の時季は2月だという。落語などでは正月には梅の花が付き物のように語られているから、旧暦の正月とほぼ同時に咲いていたのだろう。してみると太陽暦に変えて梅の花の咲かない時季を正月にしてしまったのは無粋なことだなとごく無責任に思った。
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2017/1/1 | 投稿者: 鹿苑院

母の実家から徒歩1分のところに神社がある。そこの御祭神も浅間大明神だから縁深い。
今朝、寝正月をしていたらオレは夢の中でその神社に参拝しに行っていた。社殿の横に建つ高い櫓(夢の中だけの物で実在しない)に登って社殿を見下ろしてみたが、その後で恐ろしいことに気が付いた。猫の木登りの如く、登りは簡単だが降りるのは足がすくむ高さなのだ。

起きてからこの夢の意味を考えてみると、人間急激に登り詰めてはいけない。ましてや神様を見下ろすような傲慢さを持つと後が恐い。そういう意味の浅間大明神からの教えだったのではないかと思う。年の初めに良い説法を頂いた。

なお、昨日の大掃除で久能山東照宮のパンフレットが出てきたがそこに載っている和歌もこれに通じるものがあるので載せておく。
「人はただ身の程を知れ草の葉の 露も重きは落つるものかな」
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