2016/5/21 | 投稿者: 鹿苑院

義経を差し出せ──
その頼朝の圧力に耐えきれなくなった藤原泰衡は衣川に義経を襲い、その首級を鎌倉に送る。さっきまで義経を圧迫していたはずの頼朝はガラリと態度を変え、弟を殺された報復に奥州征伐に踏み切る。最初から義経も奥州藤原も滅ぼすつもりだった頼朝の冷酷さである。

……と思っていたのだが、この前読んだ物に違う解釈が書かれており、目から鱗が落ちた。
頼朝は義経を「差し出せ」としか言っていない。法を重んじる頼朝としては、義経を裁判にかけて誰の目にもその非を明らかにしてから処刑するなり流罪にするなりしたかったはずで、そういう手続きを踏まずにいきなり殺してしまったのでは法秩序も何もあったものではない。その事への怒りが奥州征伐の理由になったという。つまり頼朝の近代性に奥州藤原氏はついていけなかったのだ。

なお、頼朝は義経や範頼に戦争を任せるだけで自分は鎌倉に座っているからズルいという意見もあるが、志田義広征伐、佐竹征伐、奥州征伐はすべて親征している。東国が頼朝にとってのメインだったから東国の戦には自分が出るが、西国に関しては本業ではないので弟に任せたに過ぎず、筋の通った選択である。
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