2016/5/12 | 投稿者: 鹿苑院

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世界史の授業で「ローマ帝国は西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれた」と習った人も多いと思うが、これはなにも喧嘩別れではない。帝国が広くなりすぎたためにテオドシウス1世が二人の息子に領土を分割して相続させただけのことで、まあ円満な遺産分与だったといえる。だから西ローマ帝国と東ローマ帝国という呼称は当時の人はしておらず、「ローマ帝国の西半分」「ローマ帝国の東半分」でしかなかった。

さて、東半分は西暦1453年まで続いたが、西半分は西暦476年にわずか80年そこそこで滅びている。西の初代皇帝ホノリウスが暗愚だったので、スタート地点からつまづいていたからだ。
讒言を信じて有能な摂政スティリコを処刑するという古今東西の暗君なら誰もが一度は通るお決まりパターンを経て、反乱の頻発、自称皇帝の乱立という事態が続く。

有名な逸話がある。ホノリウスは鶏の飼育を趣味としており、なぜか「ローマ」と名付けた鶏もいた。
反乱軍にローマ市を占拠されてしまった時、「ローマが奪われました!」という報告を受けてもポカンとして、鶏を指して「ローマならここにいるよ?」と答えたという。帝国の首都たるローマより鶏の方が彼には大事だったのだ。
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