2016/4/30 | 投稿者: 鹿苑院

世間は連休だというのにオレは仕事。出勤するために家を出たら、家から100mと離れていない所で車の前をキツネが横切っていった。
一昨年くらいにも夜にキツネを目撃しているが、確かにキツネだと確信しているものの夜だったから犬を見間違えた可能性も否定しきれなかった。しかし今日は白昼である。見間違えようがない。どこからどうみても500%キツネである。

この家には小学校1年生の時から住んでいるが、オレもその2回しかキツネを見たことはなく、家族は一度もない。周りは都会ではないけどすぐ近くに山があるほどでもない。だからなんとなく家族は半信半疑のようだが、くどいようだがあれは500%キツネである。

キツネはまあ一般的には高尚な動物とはされないが、実際見てみるとなんの美しい動物である。引き締まった顔と身体、ふさふさのしっぽ、大きさは中型犬くらいでなんとも可愛い。また会いたいものだ。
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2016/4/29 | 投稿者: 鹿苑院



二代目タイガーマスクが試合中に覆面を脱ぎ、三沢光晴に戻ったことは知っていたが、その試合をまるごと観たことはなかった。

1.覆面脱ぐ前からタイガーマスクの高校時代の経歴などべらべらしゃべる実況
2.冬木の意外な人気
3.気合満々だが大事なところでやっぱりダメな谷津
4.髪の毛ふさふさの京平レフェリー

面白い発見がいっぱいあった試合でした。
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2016/4/27 | 投稿者: 鹿苑院

司馬史観ならぬ鹿苑史観では、東国の武家と京の公家の主導権争いを日本史の軸とする。この対比を見た場合、オレはガチガチの東国武家贔屓である。
これゆえに、オレは右翼を自認しているけど持明院統(北朝)を天皇家の正統と考えているので異端的な右翼でもある。大抵の右翼は大覚寺統(南朝)正統論を奉じているのがお決まりだからだ。武家政権(=幕府)を認めてくれる朝廷が良い朝廷だとオレは考えている。

両統の分裂は元々、後嵯峨上皇のわがままから始まっている。一度は長男の後深草天皇に譲位したが、無理矢理退位させて偏愛していた次男に譲位させ亀山天皇とした。後深草上皇はこれを不服としたため、鎌倉幕府の仲裁で両方の子孫が交代で帝位に就くことになった。後深草上皇の血統が持明院統、亀山天皇の血統が大覚寺統である。
この成り立ちから考えると、わがままだろうがなんだろうが後嵯峨上皇のおっしゃることは正しいのだという考え方から見れば大覚寺統正統論になるし、どんな偉い地位にいる人でもそんな横車を押すようなことはしちゃいけないよと考えれば持明院統正統論になる。オレは後者である。

両統合一この方、日本の天皇家は現在に至るまでずっと持明院統である。大覚寺統正統論が優位になったのは水戸学からなので、それが成立した江戸初期から昭和の敗戦まで日本の右翼の多数派は口に大覚寺統正統論を唱えながら持明院統の天皇を戴くということをやっていたのだが、そこを矛盾と感じる人はあまりいなかったようだ。
オレは元々持明院統寄りなので、そういう余計なファクターなしに現天皇家にすんなり好意を持てる。武家の幕府はなくなってしまったが、持明院統が江戸に座っておわすのは武家贔屓として気分の悪いものではない。
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2016/4/24 | 投稿者: 鹿苑院

先日見たクイズ番組で、ある都道府県の住民に地元の自慢をしてもらい、それがどこなのか当てるというものがあった。群馬県が正解のその問題では、「出身有名人は?」と聞かれた県民が新島襄とか小渕恵三とか中曽根康弘の名前を挙げていた。そしてオレはそれを不思議に感じた。なぜ新田義貞が出てこない!? オレは少なくとも上州といえば新田義貞と平田弥里さんが真っ先に思い浮かぶのに。(出身ではないが縁があるはずで去年の大河ドラマの主人公格だった楫取素彦を誰も挙げなかったのはご愛嬌だなw)

昔、歴史仲間が「どんな歴史オンチでも池田輝政の名前くらいは誰でも知ってるものだと思ってた」と嘆いていたので、「オレも大学入ったばかりの頃に友達との会話でふと新田義貞の名前を出したら『そんな誰も知らない人の話をするな!』って怒られたことがあるよ」と言ってやったところ、彼は「新田義貞レベルでもそんな言われようなのか」と唖然としていた。
心情的には彼の味方をしてあげたいのだけど、残念ながら池田輝政も新田義貞も知らない人の方が世の中には圧倒的多数派だということが今のオレにはわかる。

今日立ち読みした本に出ていた戦前の笑い話で、会社の採用面接で筆者の友人が頭を抱えていたのでどうしたのか訊ねると「尊敬する人は誰かという質問にどうせみんな楠木正成って言うだろうから、同じ答えだと印象に残らないだろうと思って近藤勇と答えたんだが、よく考えたらあれは佐幕派だった」というのがあった(戦前の価値観では佐幕派は賊軍)。
で、近藤さんが逆賊にされていたことよりもオレが衝撃を受けたのはド定番の答えが楠木正成ということで、つまりどんな無教養な人間でも最低限楠木正成ぐらいは知っているということをうらやましく感じてしまった。国立大歯学部の学生が新田義貞の名前すら知らない現代からみれば隔世の感があるではないか。
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2016/4/22 | 投稿者: 鹿苑院

友達百人できるかな──というのは実際には小学校1年生でも難しい。学年が進んで個性がはっきりしてくれば尚更のことである。子供の頃、A君の家に遊びに行くと先客B君がいたので気まずく帰ってくると、よく親に「3人で遊べばいいじゃないの」と言われたが、A君とは友達でもB君とはそうではないというのはよくあることなのだ。子供なら無邪気にみんな仲良くできるだろうというのは大人の幻想に過ぎない。

「学校は勉強だけでなく社会性を学ぶ場でもある」とよく言われる。最近は社会性の方に比重が置かれすぎて勉強がおろそかにされているようにも思えるがそれはそれとして、この言葉にはケチをつける気はない。社会性、学校でおおいに学ぶべきである。
ただ、社会性を身に付けるというのはみんな仲良くすることとイコールではない。仲良くなれそうにない相手とは適切な距離をとってなるべく関わり合いにならないようにするのも立派なコミュニケーションの一手段である。

これは相手が外国人でも同じことで、とかく国際交流というと相手国の文化習慣を知ってひたすらにそれに迎合することが国際交流だと思っているやつが多いが、知った上で付き合いきれるものと付き合いきれないものを取捨選択して後者には付き合わないことを選ぶのも立派な国際交流のありかたである。
例えばユダヤ人が「パレスチナ人ってうざいよね」と言ってきたら、「ああ、あなたはそう思ってらっしゃるんですか。ふーん」とだけ聞き流せばよい。その場では一緒になってパレスチナ人の悪口を言って、次にパレスチナ人が来たら一緒にユダヤ人の悪口を言う──なんてのは国際交流でもなんでもない、ただのゲスな行いである。
同じ理由で、「日本人死ね」と何十年も叫び続けている国とも付き合う必要はない。最初の段落の例えで言えば、アメリカは日本とも韓国とも友達だが、日本と韓国は友達ではないしそうなる必要もない。
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2016/4/21 | 投稿者: 鹿苑院

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豊臣秀頼誕生を祝って、秀吉が明るい黄色の焼物を作るよう命じて開発されたのが黄瀬戸だという説があるが、今ひとつ信じ難い。
ものの本によると、利休存世中には黄瀬戸は他の道具には使われているが何故か茶碗にだけは使われていないという記述をよく目にする。ということは裏を返せば利休の時代に既に黄瀬戸はあったことになり、利休の死は秀頼の誕生より前の出来事である。

やはり中国の技術を見様見真似で青磁を作ろうとして失敗した副産物に意外な味わいがあって、そのまま別ジャンルとして定着したという見方が正しいように思う。
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2016/4/17 | 投稿者: 鹿苑院

復活したプロレス界の裏組織・虎の穴に、2人の若きレスラーが立ち向かう。彼らが共に育ったプロレス道場は、虎の穴に潰されていた。1人は富士の裾野にある伊達直人が残した特訓施設と虎のマスクを引き継ぐ。もう1人はあえて虎の穴に入り、熾烈な競争を勝ち抜き、漆黒の虎のマスクを手にする。光の道を歩むタイガーマスクと、影の道を歩むタイガーザダーク。2人はお互いの素顔を知らない―。リング上では天敵だが、目的は同じ。「虎の穴を潰せ!」

東映アニメーション株式会社創立60周年企画の一環として『タイガーマスク』を新たなテレビアニメシリーズとして製作するというなんともワクワクする発表。新日本プロレス所属レスラーも実名で登場するというから見逃せない。
『タイガーマスク二世』が放送された時にはそれに合わせて実際のリング上でもタイガーマスク(佐山聡)がデビューしたのだが、今回も新しいタイガーマスクがデビューするのだろうか? 現行の四代目タイガーマスクとの関係は? いろいろと気になる。
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2016/4/17 | 投稿者: 鹿苑院

大東亜戦争中、京都は空襲を受けなかった。これは歴史ある文化財を損なわないようにアメリカが配慮したためだという話がまことしやかに語られることが多いが、別にそうではない。

アメリカに残されている文書では京都は典型的な「ジャップ・シティ」、つまり木造民家が密集しているため空襲すれば被害は大きく、さらには日本人に与える精神的ダメージも大きいということで、攻撃が検討されていた。ただしただの攻撃ではなく、原爆投下の候補地としてである。結局ははずされたために終戦まで京都は被害を受けなかった都市になったが、それまでアメリカ軍が空襲しなかったのは原爆の威力を確かめるために京都を温存しておきたかったからに過ぎない。

広島や長崎で良かったというつもりは絶対にないが、もし京都に原爆が投下されて貴重な文化財が失われていたらと思うとゾッとする。
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2016/4/15 | 投稿者: 鹿苑院

…この言葉は、「柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ 花はみよしの」と続く。
冒頭の二つが有名なため、それだけを取り上げて、桜の潔く散るさまを武士道に重ね合わせたものだと見る向きもあるが、どうもそれは考えすぎのようだ。実際は各ジャンルのナンバーワンを列挙しているに過ぎない。

桜が潔く散るものだという感覚はソメイヨシノが開発されてからのものらしく、日本古来の桜であるヤマザクラはそう簡単に散るものではない。
また、死に際を潔くというのは葉隠に代表される江戸時代以降の武士道の発想であって、戦国時代までの武士は生き延びるためなら汚い手も使うし見苦しい逃げ方もする。昔読んだ何かの本に「梅の花は枯れかけても未練がましく枝に残り続けるから嫌だ」と書いてあった気がするが、戦国までの武士にならむしろその方がふさわしいし、命を大事にする現代人の感覚からもそちらの方が受け入れやすい。多くの武士が梅花を愛好してきたのはことによるとそのためかもしれない。
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2016/4/12 | 投稿者: 鹿苑院

『真田丸』の最初の方で、家康が「穴山梅雪みたいな裏切り者がうちからは出ないように気をつけなきゃな」と石川数正に言うシーンがある。歴史を知る人ならニヤリとしただろう。石川数正は後に家康を裏切って秀吉に付くのだから。

酒井忠次に次いで徳川家家臣ナンバー2の地位にいた数正が裏切った理由は判然としない。
最も一般的な定説は、数正は織田・豊臣という日本の先進地帯を抑えた大名との交渉役を務めていたため先進的な目で物事を見れるようになり、そのせいで泥臭い三河武士の中で浮いた存在になっていたというものだ。豊臣家の実力を正確に判断し得る目を持っていれば、「秀吉? 気合いで倒せるっしょ」という仲間とは話が合わなくなる道理である。
周囲がみんな頑迷だったり、気合いやノリで何でも解決できると思っている体育会系ばかりのために、ちゃんとした根拠がある考察をした自分の方が変な奴にされてしまう辛さはオレも経験があるのでこの場合の数正の気持ちはよくわかる。

もう一つの説は、数正は家康が豊臣に送り込んだ工作員というものだ。豊臣家の情報を洩らしたり、豊臣家の方針を内部から操って徳川有利になるように持っていくのがその目的となるが、前者はともかく後者は達成されたとは言い難い。徳川家では中枢にいた数正も豊臣移籍後はさほどの地位には就けなかったのだから。

おそらく数正工作員説は無いというのがオレの見方だ。というのも数正の息子は大坂の陣(数正自身はこの時すでに故人)で豊臣方として討死しているからで、もし徳川家の意を体して働いていたのなら勝算が無い大坂城に死ぬまで居残らなくても帰参するタイミングはいくらでもあったはずだ。それをしなかったのは家康以下徳川家諸将に会わせる顔が無かったからのはずで、つまりは数正の出奔はごくシンプルな裏切りだったのだろう。
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