2015/12/18 | 投稿者: 鹿苑院

江戸時代の長州藩毛利家において吉川家が白眼視されていたことはよく知られている。吉川広家が関ヶ原の戦で東軍に内通したために毛利軍が動けず、敗北したからである。
米沢藩上杉家においては白眼視されるのは直江兼続になる。関ヶ原西軍の首謀者の一人であり、上杉家を負けた側に引き摺り込んで大減封を招いた極悪人とされていた。兼続の再評価が始まるのは上杉鷹山あたりからである。

よく考えてみれば興味深い構図だ。同じ西軍で大減封された大名でありながら、毛利家においては東軍に味方した者が白眼視され、上杉家においては西軍に味方した者が白眼視されている。この違いはどこから来るのだろう。
戊辰戦争においては長州藩毛利家は言わずもがな倒幕派、米沢藩上杉家は佐幕派になったことも合わせて考えるとなお興味深い。
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