2015/12/14 | 投稿者: 鹿苑院

オットセイという語は今では動物の名前として定着しているが、その動物自体は元々は他の名前で呼ばれていた。ペニスが漢方薬としてチン珍重されており、それをオットセイと呼んでいたのだが、そちらの方が有名になってついには動物それ自体の名前になってしまった。

55人の子をもうけて子作り日本記録を持つ11代将軍・徳川家斉もオットセイを服用していたという。子作り日本記録は好色なためと言われることが多いが、オットセイを服用してまで精力を振り絞って励んでいたということはただの好色ではないかもしれない。晩年の力道山が興奮剤を飲まないとプロレスができなかったという話に似ている。

それほど多くの子を作った理由は、将軍の座を一橋系で独占するためだと言われているが、過ぎたるは及ばざるが如し。余った子にそれ相応の身分を与えるために幕閣の頭を悩ませることになった。
悩んだ結果、幕閣が採った手は、まったくの健常者である各地の諸大名の嫡子を不具呼ばわりする言い掛かりを付け、廃嫡させて家斉の子を養嗣子に押し付けるというものだった。無論、諸藩の藩士の反発を招くことになった。水戸斉昭も尾張慶勝も危うく廃嫡されかけており、これが御三家たる水戸と尾張が幕末必ずしも佐幕派でなかった遠因にもなった。
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