2015/7/6 | 投稿者: 鹿苑院

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禁門の変で討死した来島又兵衛の苗字は「きじま」と読む。戦国期に毛利水軍の一角をなした来島通総は「くるしま」だが、同じ毛利家中のことだし同族だろうと思っていた。調べてみると違った。又兵衛の来島家は尼子家の支族らしい。

来島又兵衛というと、「猛将の誉れ高い」というキャッチフレーズが必ず付くのだが、これに昔から違和感を感じる。その誉れはいつ得たのだろう?
近隣と戦を繰り返していた戦国時代ではないのだ。禁門の変以前に幕末の長州藩が経験した戦闘といえば馬関海峡の攘夷決行ぐらいのものだが、ここで又兵衛が活躍したという話は聞いた事が無い。禁門の変が又兵衛にとって最初で最後の実戦だったのではないか? 禁門の変勃発の時点で既に武名が高かったように書いている書籍もよくあるのだが、それはおかしい。
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