2015/7/31 | 投稿者: 鹿苑院

江戸幕府には、僧侶の転属を命じる権限があった。ある時、この転属命令にどうしても従わない坊さんがいたので松平信綱と阿部忠秋が説得にやってきた。

まずは松平信綱が説得を試みた。なぜ転属が必要なのかを非の打ち所がない理屈で説明したところ、坊さんは感じ入ったように、
「さすがは知恵伊豆様。一分の隙もない説明ですね」
「おお、では転属してくれるか!」
「だが断る」
「ええっ! おい、納得したんじゃないのかよ!?」
「だって嫌なものは嫌なんですもん」

ここで阿部忠秋にタッチ。忠秋はこう切り出した。
「坊さん、どうしても転属が嫌?」
「はい、嫌です」
「いつまでも拒否し続けてるとお咎めを受けるかもしれないけどそれでも断る?」
「どんなお咎めを受けてもお断りです」
「そうか、じゃあ咎めとして転属を申し付ける」

この言葉を聞いた坊さん、手を拍って大笑いし、「こりゃ一本取られましたな。いやあ、知恵伊豆様より豊後守様(阿部忠秋)の方が一枚上手ですね」とあっさり転属を受け入れ、その後は一言の文句も言わなかったという。

知恵伊豆も切れ者には違いないのだが、阿部忠秋と比較する逸話になるとどうも忠秋においしい所を持っていかれる役回りになるようだ。
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2015/7/30 | 投稿者: 鹿苑院

徳川家光の家臣に阿部忠秋がいる。

忠秋が名物の茶壺を入手した時のこと。これを収める木箱を作るために職人を屋敷に呼んだ。ところが彼が作業に熱中している間に、連いてきた彼の子供が茶壺で遊び出し、ついには壺の口に突っ込んだ手が抜けなくなってしまった。
阿部家の家臣がこれを見咎め、大事な壺に何をしておる、早く手を抜かんか、ええい、どうしても抜けないならこのガキの手を斬り落として…と大騒ぎになってしまった。むろん職人は顔真っ青、子供はギャン泣きである。

「何事だ、騒がしい!」と出てきた忠秋、事の仔細を聞くと呆れ顔で、「おまえらバカばっかりか。こうしたらいいだろうが」と脇差の柄頭を壺にガチャン! 壺は割れ、子供の手は自由になった。

「大事な壺を割ってまで倅を助けていただきありがとうございます。この罪は倅に代わってあっしが…」と言い掛けた職人の言葉を皆まで聞かず、忠秋は「罪って何のことだ?」と心底わけがわからんという顔をして奥に戻っていった。


同僚の『知恵伊豆』こと松平信綱は冷静沈着な官僚というイメージがあるが、阿部忠秋の逸話には人情があるものが多い。
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2015/7/30 | 投稿者: 鹿苑院

動画がネット上に転がっていなかったので載せられず申し訳ないが、長州力のベストバウトは1995年10月9日の東京ドーム大会、UWFインターとの対抗戦での安生洋二戦だったと思う。

入場シーンを見ると長州は肌がツヤツヤ、全身が筋肉の鎧で覆われている。昨今のスマートなレスラーとは違う、太くて頑丈な身体。いろんなレスラーを見てきたが、見るだけで強さが伝わってくるという意味ではこの時の長州の右に出る者はいない。

もちろん試合は一方的な展開で、序盤で安生はいろいろ手を変え品を変え攻撃をかけるのだが長州はこれをすべて受けきり、まったく平気な顔。安生のレパートリーがなくなったあたりで、「じゃあそろそろこっちからいくぞ」と言わんばかりに長州の攻撃が始まるのだが重みがまったく違う。リキ・ラリアットからのサソリ固めでまったく危なげなく完勝した。
一方的な試合は普通はプロレスファンには嫌われるのだが、この試合だけはそういう議論を超越した凄みがあったように思う。
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2015/7/29 | 投稿者: 鹿苑院

日章旗、いわゆる日の丸はその名の通り、太陽がモチーフである。太陽を赤で描くのは世界的には珍しく、普通は金色か黄色で、古代では日本でもそうだった。赤地に金の日の丸だったというから、想像してみるとなかなかカッコイイ。

赤地に金の日の丸はいわゆる錦の御旗の意匠の一部でもある。源平合戦の時、平家方は自分たちこそ安徳帝を擁した官軍であるというアピールからこの赤地に金の日の丸を使った。源氏方が採用した白地に赤の日の丸は、源氏の白旗が原型になっていることは言うまでもない。源氏の勝利によって、白地に赤の日の丸の方が一般的な日の丸になった。

江戸時代にはすっかり日の丸は日本船籍を表す旗として船に立てられていたりして、実質上の国旗として機能していたようだ。
戊辰戦争の際には旧幕軍・奥羽越列藩同盟の各藩・各隊の共通の旗として採用されている。つまり一時期は朝敵の旗になったわけだが、よく国旗の地位にまで復権したものだ。

なお、左巻きの人の中には「白は骨、赤は血の色。日の丸は戦争の旗です!」などと言う人もいるようだ。
そういえば、「君が代はけしからん。あれは戦争の歌だ。それに比べてフランス国歌の平和的なメロディは素晴らしい」と言った教師もいたという。
無学って悲しい。
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2015/7/26 | 投稿者: 鹿苑院

京に最も近い徳川譜代の藩といえば彦根藩である。譜代は十万石を超えないのが通例だが、彦根藩井伊家に限っては三十万石という特例中の特例。

彦根にこれほどの強力な譜代を置いたのは京(朝廷)の監視のためだろう。同じ近畿地方には五十五万五千石の紀州藩もあるが、これは家康没後にできた藩である上に地理的に見ても京というよりは大坂を抑える役目の方がメインだったように思える。あくまでも家康が京対策の役目を期待したのは彦根藩だと確信して良さそうだ。

では家康はなぜその役目を親藩に任せなかったのだろう? 任務の重大さからいえば御三家筆頭を尾張に置かず京の近くに置いても良かったはずだ。
オレはその理由は、室町幕府の失敗を繰り返さないためだったと思う。室町幕府には京の将軍に並んで関東に鎌倉公方がいたのだが、京の将軍を補佐するどころか事毎に対抗意識を剥き出しにして時には戦が起きたこともあるほどで、鎌倉公方の設置は失策だったと言わざるを得ない。

京の近くに副将軍級の強力な親藩を置けば、江戸の将軍に対抗意識を抱いて朝廷を担ぎ叛旗を翻す可能性がじゅうぶんに考えられた(尾張藩の勤王の藩風をみればあれが京の近くにあったら大変なことになったのは容易に想像できる)。
そこで井伊家に京の抑えが任されたのだろう。譜代筆頭だがあくまでも臣下であり将軍と肩を並べる地位にはなり得ない。安政の大獄は京でも猛威を振るったが、むしろそれこそ彦根藩の本分とも言える。
井伊直弼が暗殺されて彦根藩の力が衰え、京の抑えがはるか遠くの会津藩に任されるまでこの任務は続いた。
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2015/7/25 | 投稿者: 鹿苑院

こういう生意気な性格なので、学生時代にはいろいろな嫌がらせを受けた。高校時代に靴が何者かに隠されたことがあるのだが、その場に居合わせたクラスメートの言葉には驚いた。
「仕返しに誰かの靴を隠したれ」
その発想にも驚いたが、それを仕返しと表現していることにもっと驚いた。犯人をつきとめてそいつの靴を隠すなら確かに仕返しと言えるが、関係ない誰かにそれをやるのは仕返しでもなんでもなくただの八つ当たりである。

もっともこういう理論がまかり通っている世界があるらしい。
「1年ウジ虫、2年ハエ、3年神様」といわれる中学・高校生活(主に部活)で、先輩から理不尽な目に合わされた後輩には「3年生になるのが楽しみだ」と言うやつが多いらしい。その時には自分が後輩をいじめる側に回れるからであり、こういう理不尽なことは自分たちの手で終わらせようとは思わない。だって、「後輩に『仕返し』しなきゃ、自分たちだけいじめられて損だから」。
腐っているな、と思う。それならわざわざ年単位で待たなくてもその先輩を殴ればいいではないか。どうしてそんな簡単なことに気が付かないのだろう? 部活ばかりに夢中になって勉強しないから当たり前な理屈がわからないのだろうか?

19世紀に滅んでもなんら不思議ではなかった儒教が今も日本社会に根付いているのは、こういう歪んだ発想の持ち主たちの手によってであることは明白である。ちなみに隣の儒教大国では同じ発想で代々姑が嫁をいじめている。

釈尊が「恨みを捨てることによって恨みの連鎖は絶てる」と説いたことはあまりにも有名である。仏教と儒教とで正反対のことを言っていることに儒教嫌いの仏教徒としては満足である。
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2015/7/22 | 投稿者: 鹿苑院

近頃腰が痛い。理由は明白で、上の歯を治療する場合、体を横に捻って覗き込まなければ見えないからである。そんなことを毎日何度もやっているのだから腰が痛くなる道理である。歯医者の職業病といっていい。
少し詳しい人なら、歯医者が持っている器具の先端には鏡が付いているから直視しなくてもそれで見ればいいじゃないかと思うかもしれない。しかし右手に切削器具、左手にミラーを持つとバキュームを持つ手がなくなり、患者を溺れさせることになる。オレの腕は二本しかないのだ。

助手が横に付いて常にバキュームを持っていてくれれば問題は解決するが、ただでさえ人手不足の上に勤務医の悲しさ、「院長を差し置いて鹿苑院先生に付くのはちょっと…」と誰もが思うから結局ほとんど一人でやることになる。これは彼女たちに悪気があるのではなく、社会通念上そうせざるを得ないと申し訳なさそうに飲み会で言ってくれたのでオレとしては含むところはない。

ただし、院長と勤務医の鹿苑院とでは院長の方が偉いだろうけど、診ている患者に身分の差はない。そういう患者自身には罪のないお家事情のせいで無理をした影響がどこかに出た治療をせざるを得ないとしたらかわいそうではないか(なお、かわいそうとは思うが申し訳ないとは思わない。オレのせいではないから)。

本来、医療とは最も合理的な判断が求められる場のはずだが、悲しいかな東アジアではここでも儒教の序列論が邪魔をする。
院長は簡単な治療、オレは大変な治療をしていても、では鹿苑院先生を手伝いましょうという最も素直なはずの思考回路になかなか儒教文化圏の人間は辿り着けない。こうしてオレは日々の仕事を通してますます儒教を憎む心を逞しくしていく。

結論。
儒教は少なくとも社会と患者の健康とオレの腰にとって有害である。

余談。
コンビニの本棚に「ビジネスで活かす論語」みたいな本があったが、ビジネスに儒教を持ち込むのは狂気の沙汰としか思えない。
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2015/7/19 | 投稿者: 鹿苑院

バナナといえば黄色だが、「地球の歩き方」によるとインドには赤いバナナがあるらしい。味はカスタードクリームに似ていてとても美味しいそうだ。いつか食べてみたい物の一つである。

インドのそれと同じものかどうかはわからないが、台湾でも赤いバナナを見た。その時は買いそびれてしまい、その後は台湾滞在中に再び見ることはなく、ついに食べることはできなかった。夕焼けのような美しい色のバナナだった。

これだけネット通販が便利になった世の中でも、検疫というものがあるので外国の果物だけはおいそれと手に入れることができない。つくづくあの時買うべきだった。
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2015/7/17 | 投稿者: 鹿苑院

東大寺の大仏の周囲には巨大な四天王が立つ。邪鬼を踏んづけているが、それを見て親が「悪いことをしたやつをこうやって踏んづけてこらしめているんだぞ」と言い聞かせてくれたものだ。
ただ、子供への情操教育としてはそれで正しいのだけど、仏教学の観点からは正しくない。あれは仏法を聞いてその素晴らしさに帰依した邪鬼(=ヒンズー教あたりの神)が自ら進んで四天王の台座になることを引き受けているのだ。

東大寺の四天王といえば、平将門公が挙兵した時、蜂に化けて公を刺しに行ったという伝説がある。
オレはこの話、ちょっと違和感がある。神仏が降す罰にしてはミニマム過ぎやしないかと思うのだ。

きっとこういうことではないかと思う。
将門公は形の上では朝敵になってしまったので、聖武天皇の勅命で建てられた東大寺からすれば一応は敵になる。だからなんらかの攻撃はせざるを得ないけど、将門公は悪人ではないし民を虐げているわけでもなくむしろその逆で、坂東の声を代表して決起した英雄である。だからまあ、最低限の、形だけの地味な嫌がらせで済ませたのではないだろうか。そう信じたい。
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2015/7/16 | 投稿者: 鹿苑院

ヤボ用で浜松に行ってきた。浜松駅で野宿したことはあるが、昼間にちゃんと訪れたのは初めて。印象を言えば、名古屋圏らしい地元っぽいホッとする感と、他県の少し異なる文化の珍しさの両方を併せ持つ街という感じがした。オレはこの街、気に入った。

駿府でも感じたことだが、他県では憎まれ役になることがほとんどの徳川家康大兄が慕われているのが嬉しい。
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