2015/3/16 | 投稿者: 鹿苑院

蜀の二代皇帝・劉禅は暗愚の代名詞とされている。蜀の武将の像を建てても、劉禅だけは何回建て直してもいつの間にか壊されているほどの不人気だ。ただし暗愚を強調しているのは演技であって正史ではそれほどでもない。

蜀滅亡後、降伏した魏の下で半隠居状態になっていたある日、司馬昭が「蜀が懐かしいでしょう?」と聞くと「いや〜、今の暮らしは平和で楽だから蜀を思い出すことなんて滅多にありませんな」と答えたために、あまりの無気力さに周囲が唖然としたという逸話が劉禅の暗愚さを語る例としてよく引き合いに出されるが、これはいかがなものだろう?
司馬昭は実質的に魏を牛耳り、後の簒奪の下地を作った梟雄である。劉禅に蜀を再興したい気持ちがあるなどと嗅ぎつけたら黙って見逃してくれる男ではない。生き延びるためにはあの答えで正解だったのではないか?

もっとも、本当に暗愚だったとしたら、その原因は長坂波で救出された赤ん坊時代の劉禅を投げ捨てた劉備のせいではないだろうか? あの時に頭を打ったのが原因でアホになったとしたら…
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